民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
多文化共生の取り組み−日本の学校現場から

“違い”認めあえる社会をめざして



 日本の学校に通っている在日同胞の子どもたちが本名を名のり、ルーツを大切に思うことが本来あるべき姿だ。しかし、戦後半世紀以上が過ぎても植民地時代の日本名を用い、隠れるように不自由な学校生活を送っているのが現状。お互いの違いを認め、ありのままの在日同胞を受け入れるスタートラインになればと願い、日本の教育現場で多文化共生教育に取り組む同胞保護者の活動を紹介する。


兵庫県内の小学校で韓国語に
ついて説明する金慶子さん

◆金慶子さん(兵庫県伊丹市)

「日替わり先生」500校で
文化紹介ばかりか
歴史や人権問題も

 一九九〇年の秋から日本の教育現場で「在日」問題を中心に講演活動を続けてきた。年間約五十校のペースで、十年間では五百校にもなる。対象は保育園から大学、教職員研修やPTAの講演会などと幅広いが、どの世代にも共通して語る内容は「人はそれぞれ違いがある。違いを認め合っていかないと差別はなくならない」というものだ。

 日本で生まれ、日本で生きてきたのに、教師志望の夢も「国籍条項」の壁によりかなえられなかった。差別され、排除されてきた自身の辛い過去を顧みた時、子どもたちには同じ思いをさせたくないと思う心が、金さんを駆り立てた。


心ある教師との出会い

 きっかけは小学二年生の長女を受け持った担任との出会いがもたらした。金さん自身は本名を使ってこなかったため、物心ついた時からアイデンティティーの葛藤に苦しんだ。それがイヤで三人の子どもたちは本名で子育てをした。

 家庭訪問の日。二十代後半の女性教師は「本名を名乗る『在日』の子どもを担任することができてうれしい。ぜひ学校で韓国文化に取り組みたい」と言った。それに対して、金さんは「何もしなくて結構です」ときっぱり断った。その時のことは記憶にはないが、「親も子も本名を名乗り始めたばかりで、必要以上に肩に力が入っていたんだろう」と振り返る。

 ところが、先生はあきらめなかった。人前で話をしたことがなく、学級懇談でも震える金さんに「学校で韓国・朝鮮文化について話してほしい。お子さんがいやがるのだったらやめますが…」とたたみかけた。長女に切り出すとすんなりOKしたため、引き受けざるをえなくなった。

 2年、4年、5年とそれぞれ日を設定し、食事の作法の違いや簡単な韓国語も教えるなど、内容にも工夫をこらした。しかし、いざ1学年約200人の前に立つと、数の多さに圧倒された。何がなんだかわからない混乱のうちに、終わってみると疲れがどっと出た。

 えらいものに手をつけてしまったと後悔する間もなく、講演の話を聞きつけた隣の校区の先生から電話がかかり、「うちの学校でも話を聞かせてほしい」と依頼された。断るつもりだったが、「日本の学校でこれまで韓国のことをきちんと習ったことがあっただろうか。在日の親が教壇に立ったことがあっただろうか」と気持ちが動かされた。「私でできるのなら、この機会を活用したい」。

 在日オモニの講演はそのうちに評判となり、先生のネットワークともリンクした。金さんも92年4月から兵庫県内の教育団体で勤務したことでますます輪が広がっていった。


在日外国人の教育方針策定

 伊丹市教育委員会は九四年に「在日外国人教育基本方針」を策定した。金さんは全国初の同胞保護者策定委員として関わった。「教育方針」では(1)日本人児童の在日外国人に対する差別や偏見をなくし、異なる文化や生活習慣を尊重する態度を育てる(2)「在日」児童生徒が、民族としての誇りを持ち、主体的に生きていける環境をつくる(3)在日外国人生徒の実態把握につとめ、教師としての指導理念を持つとともに、指導力を高めるための研修態勢を確立するなどが盛り込まれた。金さんは97年からは同和教育指導員、98年からは社会教育委員も務めた。

 「教育方針」ができると在日同胞の子どもたちの諸問題解決に具体的に取り組まなくてはならなくなる。兵庫県に限って言えば、10年前までは在日同胞関係の資料が図書館にも少なく、先生たちの取り組みも多くはなかったが、徐々に態勢が整えられていった。

 教師たちによる兵庫県外国人教育研究協議会が97年4月に結成されたことも大きい。


違い当たり前子どもに示す

 講演の基本プログラムは、チマチョゴリで登場し、韓国語で挨拶するところから始まる。子どもたちをびっくりさせるのも、引きつける材料が必要だからだ。動物の鳴き声を日本語、英語、韓国語で表現し、外国だから違って当たり前ということをパネルで示す。

 文化紹介だけでは終わらせない。小学生では意味がわからないじゃないか、との指摘もあるが、侵略の歴史や差別の問題は必ず入れる。韓日の歴史を横10メートルの年表で見せ、長い友好の歴史の中で不幸だった豊臣秀吉の侵略と日帝の植民地支配の2カ所を赤く際だたせる。名前を奪われ、白い民族衣装に墨をかけられた事実に、子どもたちは「死んだも同然」などと感想を述べた。

 講演は一期一会の出会いだから、さみしくなることもあるが、教育大学の学生からは、「ぼくの恩師が一人増えた」と言われて感激した。また、昨年1月の50歳の誕生日には尼崎市立の中学校で全校生徒650人の前で話し、生徒から「金さんは国籍条項の壁のせいで先生にはなれなかったけど、きょうの70分間は立派な先生だったよ」と声をかけられて涙した。

 日替わりで「先生」の体験をさせてもらっていると語る金さんは、「学校に積極的に出かけていき、担任の先生と話し合いができる関係をつくる。本名を名乗り、『在日』の自分をアピールするなかでPTAの役員にもなり、先生や地域の人たちを巻き込んでほしい」と全国の同胞保護者にエールを送る。

 子どもたちから「韓国人は日本人を恨んでいるの」とよく質問される。その時には「国籍は韓国だけど、ふるさとは生まれ育った兵庫県、日本。ふるさとを嫌いになりたい人はいないでしょ。だけど、心の底から好きと言えないのは、差別があるから。これからの時代を担う世代が差別のない国にして欲しい」と答える。素直にうなずく子どもたちの表情に、手応えを感じる日々だ。


湘南コリアン文化研究会の
メンバーと学校で講演する
李禮子さん

◆李禮子さん(神奈川県平塚市)

「指針」策定の原動力に
市教委交渉2年
差別に立ち向かう

差別再生産ない取組み

 4人の息子を日本の学校に就学させたが、本名で通う長男がいきなり小学校で「変な名前」とからかわれ、次第に仲間はずれにされていった。中学校では生徒会長の次男が、友人のいやがるあだ名を大声で呼ぶ教師に抗議したところ、教師は感情的に反発し、逆に次男のほうが追いつめられるような険悪な雰囲気になった。「本名を名乗り、親の言うとおりに生きてきたのに、なぜ差別されるんだ。差別は大人社会の問題だ。学校では解決できないので教育委員会にかけあってくれ」という子どもの怒りと悲鳴に直面した時は、正直言ってひるんだ。

 しかし、傷を負った子どもを癒し、立ち直らせるのは、まわりの日本人とともに生きていく自分の姿勢を見せるしかない。教育委員会に電話、教育長に会いたいと申し入れた。教育長はすんなり会ってくれた。在日の思いを切々と訴える李さんの話をきちんと受けとめ、人権を尊重する環境づくりにも賛成してくれた。

 94年12月に「在日韓国・朝鮮人との共生の会」を立ち上げ、平塚市教育委員会と「教育方針」の策定交渉に入った。市教委はその後、97年3月に「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)にかかわる教育の指針」を打ち出し、次男の問題は「差別事件の報告書」という形で市内の教師全員に配られることになる。

 李さんはその事件を契機に、「在日」がどんなことで悩み、傷ついていくのか、そのことを知らない日本の教師や子どもたちに伝えていこうと思った。二度と同胞の子どもたちに差別の辛さを繰り返させないために、また、自分が苦しい時にきちんと向き合ってくれた教育長ら心ある教師の誠意に応えたいと痛感したからだ。

 97年に韓国の文化を紹介する機会を与えられた。小学6年生を相手に本名の問題を話した。「名前に変な名前はない。違いってステキ、おもしろい」と切り出した。初めて聴く「在日」の問題に子どもたちはきょとんとしていたが、人権意識の高い先生との出会いが次の講演につながっていった。さらにお母さんたちとのつながりが、学校に講演開催を働きかけていく。

 3年間で約90校、公民館を合わせると100カ所以上をまわった。すべて口コミで広がっていったものだ。


意思疎通で喜び表現へ

 講演と小さな子どもたちへの本の読み聞かせなどを中心にした活動の主体は、湘南コリアン文化研究会が進めている。3人からスタートした会は現在30人あまり。印刷や車の運転を買って出るボランティアを含めると50人にふくれる。メンバーは本名の「在日」と日本名の「在日」、韓国籍、朝鮮籍、それに日本人が集まり、自分ができること、感じたことを子どもたちに伝えていく。韓国料理教室やハングル講座、韓国舞踊と伝統楽器の講習など、趣向をこらしている。

 もと教師だった李さんはリクレーションセラピーやグループワーク、癒しのカウンセリングやアサーション(自己表現)を勉強するなかで、みんなの共感を得るためには、一緒に歌ったり、体を動かしたり、同じテーマで話し合うワークショップスタイルが必要だと思うようになった。コミュニケーションはないと辛いが、自己表現をしたり、他者と意志疎通できると喜びになる。

 「相手と出会うことで自分が見えてくる。語りながら自分本来の姿が見えてくる」。そのことを肌で実感した李さんは、子どもたちには感想や意見を求め、お母さんたちには「私メッセージ」というコーナーで本音を語らせる。


歴史教育の不在如実に

 講演を聴いた中学一年生の感想文が手元にある。反応は様々だ。

 「日本と韓国、朝鮮との間にあった出来事をほとんど知らなかった」「知らない国へ無理矢理連れてこられて名前を変えられて、必要がなくなったら外国人なんて、とてもひどいことを日本はしたんだね」と歴史教育の不在を指摘する声。「差別をなくすために、日本人の意識を変えなければいけない」「人権を理解するためには一人ひとりの違いを理解し合うことが大切だ」と差別に向き合う声。

 「納税しているのに、選挙や政治に関われないというのはおかしい」「名前を笑われるなんてすごくいやなことだ。親からもらった一生使う大事なものなのに、それを使わずに嘘の名前を使っている人は多いと思うけど、頑張って自分の名前を使っている人はすごい」と現状を衝く声が続く。

 子育て真っ最中のお母さんたちも多くのストレスをためている。本音でつきあい、何でも語れる場が少ない。相手に合わせることに汲々とし、人と違うことに脅える。内にこもり、自分で抑圧している姿は、李さん曰く「日本はいじめ文化」。その矛先は弱者に向かう。必要なのは韓国の「けんか文化」。「意見が対立してもかまわない。大事なのは違いを受けいれ、丸ごと飲み込むことだ」と言う。

 相手とコミュニケーションするキャッチボールを選ぶか、攻撃するドッジボールを選ぶか。韓国の異文化に触れ、日本文化を見直す機会があればあるほど「在日」も日本人も心が豊かになる。日本社会の有り様を考えさせる存在でありたいと思っている。

(2001.0101 民団新聞 新年特集号)



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