民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
永住外国への地方参政権

日本各界に意見を聞く
藤原史郎(全朝教代表)



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選挙権法案が継続審議になりましたが、その影響をどうみますか。

 残された問題点は三つある。一つは「在日」の権利要求に壁をつくり、解決を先延ばしすることで、「やっぱり朝鮮人でいることは損なんだ」という思いや「帰化志向」に拍車をかけるということ。これは「在日」のアイデンティティにとってよくない。

 二つ目に、日本のデモクラシーが遅延するということ。阪神大震災が起きた時、貝原県知事は「兵庫県下の在日韓国・朝鮮人をはじめ、外国人のみなさんは県民である」と表現した。その言葉は、パニックになっていく状況を回避し、日本人も外国人も互いに助け合うという方向を示した。その具体的システムが参政権だったのに、成立しなかったのは震災のなかでできた共生の理念を風化させてしまう。地方政治は「民主主義の学校」と言われるが、日本人に無意識にセン在するメンタリティー、つまり、日本人にあらずんば人にあらず、という伝統的な価値観を越えるチャンスをまた失ったというほどの比重をもっている。

 三つ目に、日本人の子どもと外国人の子どもが人間(人と人の間)関係をつくっていく上で、「違うことがすばらしい」というのではなくて、ハンディのある者ない者の格差や差別を助長する意識が日本人の側に生まれてしまうだろう。対等の関係をつくっていく目標が、また阻害された。


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かつて指紋押捺がいやなら帰化しろと圧力がかかりましたが、外国籍のまま参政権を求めることを、ことさら問題視する空気がありますが。

 経済不況が長引いて日本が曲がり角に来ている時期に、日本人という身内だけで固まり、危機を突破しようという動きを一生懸命つくろうとする風潮が生まれている。内なるものは善で、悪なるものは外にあるという考え方だ。

 「帰化」しても民族性、すなわち自分のルーツを否定しない生き方が保障されるならば話は別だが、現状の「帰化制度」は帰化する人間の労働力だけ見ている。労働力を発揮する人間の人格は見ずに、民族性を抹殺する。

 日本人と「在日」のカップルから生まれたダブルの子どもたちが増えているが、彼らは部落差別の状況に似て悶々としている。自分の身体にコリアンの血(生物学的でなく文化的)が流れていると知っていても家族や友達の前で言えない。言うとマイナスの仕打ちが返ってくる、もしくはその恐怖を感じているからだ。

 それに日本人自身が「帰化」という意味について全然わかっていない。語源は天皇に頭を下げて日本人と同じように化けるという意味だが、その排他的思想に気づかず、何か「不純」なものと感じている。

 かねてから私は18歳から選挙権をと言ってきた。それは青少年を社会の構成員としてとらえ、義務と責任の関係をはっきりと意識させるべきだと思うからだ。

 新刊書『17歳』で精神科医、北里信太郎は、いかに凶悪化する青少年犯罪を防止するかで、かつて10代の後半は社会の一員として働き、発言し、行動することにエネルギーを向けていた。今は社会が豊かになる過程で、過保護的状況が以前にも増して進んでしまったために、そのエネルギーをそいでしまった。17歳で選挙権を与えて、その力をより健全な方法で社会に貢献させ得る、と言っている。

 選挙権がないから凶悪化してきたというその尺度から言うと、「在日」はみんなそうなっているはず。

 しかし、これまで「在日」70万は税金を払い、その大多数は参政権がなくても自粛し、権利主張を自己規制してきたのではないか。17歳に選挙権をと提唱するなら、当然のように「在日」も視野に、と言いたい。


◆◇◆プロフィル◆◇◆

藤原史朗(ふじわら・しろう)

 1943年、兵庫県生まれ。同志社大学法学部、同大学院神学部卒業。71年、兵庫県立尼崎工業高校を経て76年から尼崎市立尼崎高校の教諭。同校の人権教育推進委員会委員長を務める一方、全国在日朝鮮人(外国人)研究協議会の会長職にある。著書に『育ち行く者たちと共に』(新教出版)、『生徒がチョゴリを着るとき』(明石書店)他がある。

(2001.02.07 民団新聞)



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