民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<18>



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新時代の教育を考える
金日龍(金剛学園中・高 日本語科教諭)

 20世紀を振り返ってみると、18世紀後半から起こったイギリスの産業革命の延長線上に展開していった技術革新の世紀であったと言っても過言ではない。科学技術の発達は各分野においてめざましい。

 科学技術の発展と共にすべての面で合理化が進められ、科学で証明できないものは非科学的なもの、迷信として省みられることのない時代でもあった。教育にあっても実学が重視され、人間そのものについての考察はなおざりにされていた感は否めない。

 その弊害が世紀末になって一度に噴出してきたといえる。青少年の、とりわけ17歳の奇異とも映るバーチャルな世界と現実世界との境界が曖昧なままの犯罪行為。豊かな社会における家庭教育、しつけ教育の欠落を物語っている。

 衣食足りて礼節を知るとは古人の言葉であるが、現代は衣食足りて礼節を知らずの時代であろう。子供のわがままを個性として捉え、耐える・我慢する・相手の身になって物事を考えるという人間としての基本的な部分が見落とされているところに現代教育の欠陥があるといえる。教育とは何かを教育本来の原点から改める必要に迫られているように思われる。

 現代は、世界の多くの人々が同レベルの生活を求めようとする時代である。このような急激な進歩においては、その中でおきる摩擦もすさまじいものになる。

 21世紀を迎えるにあたって、新しい時代にふさわしい教育、新しい時代を生きる国際人をいかに育成するか。伝統・文化をいかに次世代に継承すべきか。我が民族の優秀さと適応能力を可能な限り引き出し、21世紀に活躍する人材の育成と言う観点から、民族教育のあり方を模索しなければならないと考える。

 20年ほど前のことであるが、私は教育者研究大会において「全人教育の研究」と題して教育論文を発表した。その時私は、人間としてのしつけ教育、耐える教育、型からはいる全人教育の必要性を説いた。その方法としての剣道、座禅、この二点は現在も初等教育において実践している。

 昨年4月、在日韓国人学校PTA連合会による母国研修に総務として参加した。その旅程の中、本校の卒業生が面会に来てくれた。20年ぶりの再会であった。その会話の中で「あのとき先生と一緒にやった座禅は本当につらかった。でも、その時の辛さがその後の私の人生で本当に役に立ちました。おかげで道も誤らずに現在に至っています」と語っていた。

 この生徒の場合は、日本で生まれ育ちながらも家庭の事情で成長の過程途中で帰国しなければならないという、教育的に観れば非常に過酷な人生であったと思われる。なぜならば人間は10代前半までに人間として生きるための基本的な生活習慣等が形成され、思考方法等がそのおかれた環境で使用される言語を母語として心身に刻み込まれるわけであるが、その後で他の環境におかれるとその環境に適応する事に非常な精力を費やすことになる。

 このことは、同じ環境における他の生徒と比較した場合、非常な遅れとなる。それを克服する道は、自らの絶え間ない精進しかない。

 そのような環境におかれながらもそれを克服した勝者の言葉として、その言葉を私は受け止めた。21世紀においては、先に述べた「全人教育」を強力に推進する必要性に迫られていると確信する。

(2001.02.21 民団新聞)



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