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大阪で20年前に建立されていた

「従軍慰安婦」の慰霊碑



日本人有志が建てた
「従軍慰安婦」慰霊碑

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大東市民ら再照明し顕彰の集い

 【大阪】日本人有志の手で20年以上も前に建てられ、いまは大阪・大東市の地元住民でさえその存在を忘れがちな「従軍慰安婦」慰霊碑に光をあてようと、地元有志が18日、現場で「顕彰の集い」(同実行委員会主催、近藤松次委員長)を開いた。

 地元民団大東支部の薜文教支団長ら同胞、市民100人余りが出席した。

 同慰霊碑は大阪市内を見渡せる大東・野崎にひっそりとたたずんでいる。表面には「大東亜戦没日韓看護婦慰霊の碑」との文字。裏面には「戦没朝鮮処女女子挺身隊七万余人、日本看護婦2万余人の尊き英霊を祭るため建立す」という趣旨の施主のメッセージがしたためられている。日本の植民地統治下、韓半島から「女子挺身隊」として連れていかれた女性の多くは「従軍慰安婦」にされた。

 大東市などの調査によると、施主の男性(89年に79歳で死去)は大阪市内で理容業を営んでいた。第2次大戦前、中国東北部で日本陸軍に召集された際、「従軍慰安婦」を見てきた。友人の話では「日本は大変ひどいことをした。少女たちがかわいそうで胸が痛む」と語っていたとされる。慰霊碑は施主亡き後も遺族が管理している。

 実行委員会の発足を呼びかけた大東革新懇話会の山崎充宣事務局長は「日本政府はいまだに犠牲者への明確な謝罪も国家賠償もしていません。そればかりか、教科書から『従軍慰安婦』問題の削除させようという動きもあります。私たちは関係者の遺志をしっかり受け止めて、大東の地から人権擁護と平和のメッセージを送り続けたい」と話している。

(2001.02.21 民団新聞)



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