民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<32>



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民族教育に携わる思い
金直浩(京都韓国学園・理科担当)

 私は昨年の4月から京都韓国学園に勤めています。私は小学校、中学校、高校、すべて日本の公立学校に通い、当然民族学校に通ったこともなく、民族教育というものも受けたことがありません。

 しかし、私がこの学園に就職しようと思った動機は、自分の中にある「在日」に対する思いでした。私は幼稚園のときからずっと「金直浩」という本名で生きてきました。

 その中で常に自分が在日朝鮮人であることを意識し、日本社会の中では異質の存在であることを体感してきました。

 高校生、大学生のときに、はじめて在日朝鮮人の友達やダブルの友達ができ、ここ数年やっと自分に自信がもてるようになりました。こんな私が子どもたちに何か伝えられることができたら、この先社会で生きていくときに何か勇気を与えることができたら、と思ったのが一番大きな動機です。

 京都韓国学園の生徒は素直で明るく、のびのびとしています。教師という職業について、人からよく「今の中学生、高校生は恐いでしょう」と聞かれますが、全然そんなことはありません。本当に純粋な生徒ばかりだと思います。中には、私自身がはっと気づかされるほど鋭い感性をもった生徒もいます。

 今の段階では、私が生徒を勇気づけているのではなく、私自身が生徒に勇気づけられています。教師という、また民族教育という中で、自分の限界を知り、その限界を打ち砕き、また歩んでいく中で、本当に生徒に勇気づけられます。私が学生の頃には得ることができなかった「仲間」が、今、私にはいます。生徒と教師という関係ではあるでしょうが、私はみんなを「仲間」として感じています。この「仲間」が今の私の原動力です。

 「在日」という存在は、これから日本社会の中で制度的にはどんどん見えなくなる存在ではないだろうか、という危機感を私は抱いています。

 実際に「在日」といっても、ダブルの人や日本籍を取得した人など、様々な形で多様化しています。学校の中でも社会の多様化がそのまま存在しています。そういう状況の中で民族教育とはどのようになされていくべきなのでしょうか。

 やはり私は生徒自身が、そして教師自身が自分らしく存在できる場所を作り、卒業して日本社会で生きていくときにも、自分らしく生きることのできる「自分らしさ」と「勇気」を生徒自身が見つけることのできる教育を行っていくことが大切だと思います。そして、なによりも自分のルーツを自信にすることだと思います。

 実際に「在日」が多様化し、ルーツがみんな同じであるというわけではありませんが、日本の教育では行われていない、民族学校だからできる教育を行うことに、民族教育の一番大きな意義があると思います。

 韓国の歴史、在日朝鮮人の歴史、民族楽器の演奏…。それだけでは足りないかもしれませんが、今の日本社会ではなかなか経験できない貴重な体験を民族教育で経験できるということは、自分のルーツを探すための道具となり、人生の中での大きな糧、勇気になると思います。

 最後に、私は、京都韓国学園という自分らしく存在できる場所で、自分を明らかにすることで私という存在を生徒に知ってもらい、教師として、仲間として、そして人生の先輩として、生徒に何らかの勇気を与えられる存在になっていきたいです。

(2001.04.18 民団新聞)



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