民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
21世紀の民族教育を見つめて

民族学校の現場から<33>



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名前と在日
金典子(京都韓国学園・英語担当)

 病院の待合室や、市役所の窓口で「キムさん」と呼ばれる。「キム」という名前を聞くと、囲りが反応するようにみえる。そういう時私は、「違うな」と思う。

 高校まで通名で通っていた私は、ほとんど日本人という感じで学校生活を送っていた。

 家では年に何回もチェサがあり、自分が韓国人であるということは物ごころついた時から分かっていた。

 しかし自分が韓国人であるということを、学校の友人全員が知っていたわけではない。私は自分が在日韓国人であるということを、特に言っていなかった。言うべき状況もとくに無かったし、別に言う必要も無いと思っていた。

 自分が韓国人であるということが嫌だったのかというと、そうではないと思う。みんなと同じでないと不安だと思った事もない。

 日本の学校で、ほとんど日本人化してしまっていた私には、韓国人であるという自覚があまり無かった。しかし、それを言わないこと自体、隠しているみたいで苦しく感じていたような気もする。

 私が本名を名乗り始めたのは大学1回生で、海外に行って帰って来た後だった。まわりはみな日本人で、私だけパスポートの色と文字が違っていた。いつもの名前と違いキム・チョンジャと呼ばれ、この時に自分が韓国人であることを思い知った。

 19年間通名で生活してきた私にとって、本名であるその名前は私自身と全く一体化しなかった。まるで別の人間のような気がした。

 しかしその名前が本当の名前であり、自分が韓国人であるということは変わらない。私は在日韓国人という自分自身と、もっと向かい合おうと思った。

 最初は姓だけ本名に変えた。朝鮮人の友達は「中途半端やな」と笑った。出だしでフルの本名はちょっときつい。とりあえず姓だけでもいいから本名に慣れようと思った。

 本名にして数年が経ち、何か変わったかというと、特に何も変わっていない。でも、説明なしにまわりがわかってくれるので、自分が楽になった。

 今私は、京都韓国中学校で中二クラスを受け持っている。家庭訪問で見た生徒の家の表札はそれぞれだった。本名の家もあれば、通名の家もある。学校では本名を使っていても、家に電話をすれば「はい○○です」と通名で電話に出るところが多い。

 生徒たちは卒業した後も本名を名乗るのだろうか。

 日本の社会で民族性を維持するためには、本名を名乗ることが最も良い手段なのかもしれない。しかし、それぞれにいろいろな考え方、やり方があるから、これから先本名を名乗るかどうかは、個人が決めることだろう。

 在日って特別なことなのかなと、通名の時考えたことがよくあった。しかし本名になって、特別でも何でもない普通のことだと感じる。

 在日であると肩に力を入れずに、ごく自然に、在日であることが自分の一部であることを素直に受け入れられればいいと思う。ありのままの自分をそのまま受け入れて、自然に振る舞える人間になって欲しいと生徒たちに望みたい。

 そして、在日であることを特別視せず、すんなりと受け入れる社会が、今もうそこにあると思う。

(2001.04.18 民団新聞)



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