民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
在日へのメッセージ

最後の授業
宇恵一郎(読売新聞・解説部次長)



 小学校の担任の教師は、社会科の時間、すぐに戦争の話題を持ち出した。曰く「二〇三高地の攻防戦で乃木大将はいかに我慢を重ねたか」「ミッドウェイの海戦で艦載機の爆弾の積み替えを誤らなければ、その後の歴史は変わった」。教科書にはなかったと思うが、それしか思い出せない。

 中学校の教師は「歴史は暗記物だ」と言って憚らなかったが、高校で日本史を担当したA教師は、「歴史授業とは批判の精神を学ぶことだ」と主張し、教科書さえも批判の対象として授業を進めた。

 その「新日本史」の教科書では、植民地朝鮮の3・1独立運動について、「中国の5・4運動の影響を受けて起きた」と書かれていた。同じ年に起きた事件の前後関係を無視したひどい話だが、それでも検定を通った教科書だったのだ。A教師は「教科書も検定も、その程度のものだ」とさらりと言った。

 A教師の授業は単元ごとにレポーターを決め、史料を集めさせ、討論させた。3年生の最終授業でA教師が出したテーマは、「第2次大戦と日本の敗戦は必然だったか」。レポーターの女生徒は、林房雄の「大東亜戦争肯定論」を援用して、「日本にも責任があるが、当時の世界情勢で止むを得ない側面もあった。現実としてアジアは欧米列強から解放された」と結論し、教室は、賛否両論で蜂の巣をつついたような大激論となった。

 授業の終りに教師は言った。「すべて歴史は立場を替えれば見方も変わる。この問題について私なりの考えはあるが、言わずに置こう。諸君がそれを飽かずに事実に基づいて考えつづけてくれることを望む」と。

 A教師が教えてくれたのは、「歴史とは教わるものでなく、考えるものだ」ということだった。

 英国の評論家、サミュエル・ジョンソンは、「愛国心は悪党の最後の逃げ場所だ」と警句を吐いた。愛国心を基点に歴史を考えることに何の益もないことに気づくべきではないか。日本も、そして韓国も。

(2001.04.18 民団新聞)



この号のインデックスページへBackNumberインデックスページへ


民団に対するお問い合わせはこちらへ