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「負の遺産」に再照明

旧日本海軍の地下壕を初公開



かつて作戦室が
置かれていた場所は
地下壕の中でも最も広い

 第2次世界大戦末期、旧日本海軍連合艦隊司令部の置かれていた慶應義塾大学キャンパス(横浜市港北区)にある日吉台地下壕の一部が5月26日、一般に公開された。

 地下壕は同大学が400円をかけ史跡として整備した。この日が整備後初めての一般公開となった。今回は地元で同地下壕の保存運動を進めている民間団体「日吉地下壕保存の会」が会員向けに説明会を企画した。当時、工事を現場で監督したという在日韓国人の李圭植さん(81)=横浜市南区在住=も生き証人として参加した。

 地下壕は1944年から1945年8月まで海軍の重要な施設が集中、当時は「地下施設」と呼ばれていた。全部で5カ所あり、このうちの3カ所が大学キャンパス内に置かれていた。このほかにも慶應義塾普通部の南側と日吉駅の西2qほど奥まった蟹ケ谷に1カ所ずつある。工事には海軍の設営隊と民間人、および少なくとも700人以上の韓国人労働者が投入されたといわれている。

 この日、公開されたのは日吉地下壕のなかでも最も重要で、完備した施設を持っていた連合艦隊司令部の地下施設。司令部は施設の一部が完成した1944年9月に移ってきた。ここには長官室、作戦室、電信室、暗号室などがある。作戦室は幅4メートル、高さ3メートルで地下壕の中でも最も広い。全作戦はここから指揮・発令されたという。通信室には当時としては珍しい蛍光灯が使用され、昼間のように明るかったと伝えられている。

 李さんは「思い出すのも嫌で来たくはなかったが、いまは感慨無量なものがある。工事は12時間労働の2交代制だった。工事に携わった韓国人は人間扱いされていなかった」と当時を回想した。また、民団横浜支部の鄭寿福議長は「私たちにとっては負の遺産だが、永く保存して真実の歴史を語り継いでいく場にしてほしい」と話していた。

(2001.05.30 民団新聞)



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