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在日へのメッセージ

前田 憲二(映画監督)



神秘の杜に「高麗」宿る

 台風が関東に接近した8月12日夕刻、私は講演会を三重の教育委員会から依頼され、松阪へ入った。テーマは「祭りの原点から、いまと未来をみる(朝鮮渡来文化を中心に)」だった。松阪は国学の雄とされる本居宣長の出身地で、新しい歴史教科書問題で大きく揺れている時期だった。宣長は『古事記』を事実とし、天照大神を実在の太陽神と説いているため私はこてんぱんに宣長をやっつけた。講演を引き受けた理由はもう一つあった。  それは伊勢神宮の裏側に、広大な原始林が歴史の謎を秘め存在し、そこへ入ることがもう一方の目的だった。そこは東京ドームが400個入る伊勢神宮の御神域で「高麗広」と呼称され、地図でも確認できる。翌朝、私は小学校の坪内弘明先生に案内され、和製ジープで高麗広に入った。

 台風一過の五十鈴川は清流を湛え、滔々と御神域を包み込むようにうねっていた。

 何という美的空間だろうか。ここは千数百年の昔から40数軒の家々が点在し、杣人の末裔が生活すると考えられている。

 7年前、高麗広に居住された伊勢神宮一級表具師・杉山貞雄氏宅を訪ね、いろいろ伺った。氏はこの宮域には、いまも15、6頭の鹿の一群が出没する自然環境だと教えてくれた。それもしかりで、我々3名の眼前で、突如、大きな川鵜が飛来し五十鈴川に潜り、小魚を銜えた。

 天武天皇が伊勢神宮を創建した7世紀には、既に式年遷宮制度が定められ、天武である大海人は、高句麗・百済系とも考えられてきた。すれば、高麗広と呼称されるのは当然で、杣人たちは天武を警固した高句麗渡来人なのかもしれない。

(2001.10.03 民団新聞)



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