自分さえよかったら
「日本さえ巻き込まれなければいい。爆撃はテロを起こしたのだからしょうがない。日本は外人を入れないようにして平和を守ればいい」。
大阪城にほど近い大阪国際平和センター(ピースおおさか)。戦時中の空襲や、各国の難民の実情の展示を見学する子供たちからアフガニスタン戦争への思いを聞いた。そして小六女児の言葉に心が凍りついた。
「ここに来て先生、戦争って本当にあったんだ≠ニいう子供もいる」と、ある小学校の引率教諭は話す。戦争があったことも知らない子供たち≠ノ戦争を教えても「日本でなくてよかった」「その時代に生まれなくてよかった」と答えが返るばかりという。
「自分さえよければ」という子供の考え方を声高にとがめる人もいる。そういう大人の中には「自分の国さえよければ」「日本人さえよければ」という偏狭なナショナリストが少なくない。「子は親の鏡」。その結果が無邪気な排外主義を育て、その子供たちは大人になっていく。
「民族の誇りを保ちつつ、地域住民として生きたい」という在日コリアンの願いを理解する日本人が必ずしも圧倒的多数とはいえない理由も、この循環の中に見出すことができるかもしれない。
閉じた思考サイクルから飛び出して、NGO活動などで世界に関わる人々は多い。アジアと関係を深めなければ経済的に成り立たない日本の地方は積極的に国際交流に取り組み在日コリアンをはじめとする外国人が活躍している。
ただそれが子供たちに伝わっていないことを恐れる。未来を担うことができるのは、今の子供たちだけなのだから。
(2001.10.17 民団新聞)
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