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誰もが住みやすい街に



 3番目の子どもの誕生を期に、少し広い部屋に引っ越すことを決めた。長男の小学校入学を控えていた時期で、時間に追われながら物件を探すしかなかった。

 本名が原因でいじめられるようなことになっても、すぐに親が学校にかけつけることができる近距離が第一条件だった。2番目の長女が自閉症だということが濃厚だったから、障害児にも優しい居住環境が絶対に必要だった。

 道路を隔てた埼玉県の新築マンションに行ってみた。学校までの道のりが遠く、興味津々でついて来た長男は途中でへこたれた。通学路にもかかわらず、車道と歩道の境界があいまいだった。もう一つの物件は、空き地に右翼の街宣車が3台も止まっていた。論外だった。両市とも公務員採用に「国籍条項」があった。

 途方にくれて湘南地域まで足を伸ばした。学校が目と鼻の先にあった。神奈川県下の自治体は総じて「国籍条項」がない。「在日」が生きやすい街だろうとの可能性にかけ、その場で即決した。

 先日、取材した東大阪国際交流フェスティバルは、世界を視野に入れた市民祭として定着している。民団と総連の支部から選ばれた共同代表は、東大阪市の外国籍住民施策有識者会議や外国人基本指針委員会の委員として外国人の意見を行政に反映させる役割をも担う。目の前で広がる共生の輪に、こういうシステムが全国に広がればいいと痛感した。(C)

(2001.11.14 民団新聞)



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