民団新聞 MINDAN
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言葉と文字について考える



 かつて文字のなかった日本語は千数百年前、中国から来た漢字を活用するようになった。これが不幸の始まりだと著者は指摘する。

 何故なら、漢字はあくまでも中国語を表記する為に創られた文字だからで、それは上等な服だったかも知れないが、サイズもデザインも合わず、結局着こなせないまま、現在に至ったと比喩している。

 日本語を表すには漢字よりも、むしろアルファベツトの方が便利で合理的なのだから、その当時もし二者択一する機会があったなら、間違いなくローマ字が選ばれていただろうと考察しつつ、だから明治維新後、有識者の間から、漢字廃止論や音標文字論が広まった、という話には頷ける。

 この様に日本語を母語とする者が読めば、なるほどと思える部分が多くて面白い。が、首をひねったのは、日本語が地球上どこにも親戚のない孤立した言葉だという断定的評価だ。せっかく読み応えのあるものを書きながら、著者は隣の国の言語について、何も知らないようで惜しまれるのだ。

 同様の経緯を持ち、表音文字ハングルを創ったものの同音異義語の混乱から、漢字復古論もある韓国語や、同じ漢字圏でありながらも、宗主国フランスの文字を取り入れたベトナム語についても言及し、比較していたなら、日本語の持つ宿命がより鮮明になったはずなのに…。

 文春新書「漢字と日本人」(高島俊男)。それでも冬休みのお勧め本だ。(S)

(2001.12.19 民団新聞)



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