民団新聞 MINDAN
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「慰霊碑建立、今年こそ」

山口県宇部で追悼式典



事故現場の前で祭壇を設ける
韓国人遺族

旧長生炭鉱水没事故から60周年
韓国の遺族ら海底の犠牲者に誓う

 【山口】旧長生炭鉱水没事故60周年追悼式が2日、事故が起きた宇部市西岐波の海岸で営まれた。今年で11回目となる追悼式(主催=長生炭鉱の水非常≠歴史に刻む会・山口武信代表)には、1日に山口県庁、宇部市役所当局に慰霊碑の早期建立を訴えた韓国の遺族8人を含む100余人が参列した。

 山口代表は「遺族も高齢化している。慰霊碑のための土地の確保を今年中にめどをつけたい。当時何があったのか、真実を知る資料がほしい」と訴え、市民、マスコミの協力を求めた。遺族会の金亨洙会長は、「えひめ丸事件」の犠牲者慰霊碑が建てられるとの情報を紹介しながら「韓国では10年たてば山河も変わるというが、ここ日本ではいまだに遺族への謝罪も、慰霊碑建立も実現されていない」と辛い心情を吐露した。

 「タヒャンサリ(他郷暮らし)」と「アリラン」が追悼歌として捧げられた後、韓国式の祭事(チェサ)が執り行われた。父の゙在福さんが犠牲となった娘の順徳さん(75)は、1945年の解放後に帰国。現在は京幾道・安山市に住んでいる。初めて追悼式に参列するため、60年ぶりに事故現場を訪れたが、祭事の間中は嗚咽を押さえきれず、参列者の悲しみを新たにしていた。

 遺族らは事故現場に今も残る2つのピーヤ(排気筒)の近くで、海に向かって献花した後、市民との交流集会に臨んだ。

 遺族の一人で長年、韓国の遺族と「刻む会」を物心両面にわたってつないできた京都在住の李元宰氏が昨年8月15日に亡くなったこと、奇しくも同じ日にNHKラジオの全国放送で長生炭鉱の問題が放送され、関心が高まっていることなどが報告された。

 飯塚市との行政交渉の末、2000年12月に同胞無縁仏の慰霊納骨堂を完成させた「来善氏は「民団、総連、日本人など広範な人を巻き込み、気迫をもって行政当局に働きかけなくてはならない」と叱咤激励した。


長生炭鉱事故とは

《解説》第2次大戦中の1942年2月3日未明、宇部市西岐波の海岸にあった長生炭鉱で落盤、水没事故(水非常)が起きた。犠牲となった炭抗夫は183人、そのうち130余人は強制連行された同胞だった。遺体はまったく引き上げられることがなく、半世紀過ぎた今も海底に眠ったままだ。

(2002.02.06 民団新聞)



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