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在日海女の秘蔵映像

35年ぶりによみがえる



70歳まで海女を続けた梁義憲ハルモニ

幻のドキュメンタリーフィルム

 在日同胞海女(あま)の約40年間に及ぶ過酷な労働と生活ぶりの一端を実写した貴重な16ミリフィルムが、35年ぶりにドキュメンタリー映画「シンセタリョン(身世打鈴)〜ある在日海女の半生〜」(49分、映画「海女」制作委員会企画)としてよみがえった。日本の高度成長期、厳しい民族差別の洗礼を受けながらも底辺でたくましく生き抜いた在日同胞1世の姿を伝えている。)


■知られざる苛酷な人生に光

 映画の元となったフィルムは朝鮮通信使の研究家としても知られる大阪の辛基秀氏が1960年代なかばに制作した作品「身世打鈴」。

 同作品は、大阪、対馬、新潟と渡り歩き1年の大半を海女として暮らす若き日の梁義憲ハルモニ(86)=大阪市生野区在住=の姿を追ったもの。諸々の事情で日の目を見ることもなく辛氏さんの家で眠っていたのをドキュメンタリー監督の原村政樹監督(桜映画社)が掘り起こした。

 一昨年12月、原村監督は「在日」をテーマにした作品の準備に追われていた。古い資料映像を探していたところ、たまたま人を介して辛氏を紹介された。辛氏宅で「身世打鈴」の映像に接した原村監督は、梁さんの「すさまじい人生」に胸を打たれた。梁さんと直接出会い、カメラを回して何回も証言を聞きながら、梁さんの一人語りと30年前の映像を交互に映し出すことで「日本の戦後史」をあぶり出せるのではと確信を深めていった。

 梁さん一家は48年の済州島武装蜂起「4・3事件」の余波で家族が離散した。先に夫が難を逃れ長男とともに日本に密航、続いて韓国戦争終結と同時に梁さんが夫の後を追った。このとき、20歳を超えていた長女は済州道に残した。

 夫は生活を顧みることはなかった。代わって梁さんが6人の子どもを育て上げなければならなかった。エアーポンプを口にくわえて水深50b以上も潜り、体力の限界まで海底のアワビやサザエ、海草類を探す。たとえ潜水病で倒れて意識不明になっても、翌日には海に潜った。1日の稼ぎは平均2万円、多いときには5,6万円にもなった。これらの収入は必要最低限の生活費を除いてすべて家族のもとに送ってきた。こうした生活を70歳まで続けてきた。

 原村監督は「梁さんからは大河の奔流にも例えられる人生を感じさせられた」と制作の動機を話している。制作委員会を通じて今後、幅広くカンパを募り、遅くとも来春には完成させる方針。

 桜映画社の問い合わせは電話03(3478)6110まで。

(2002.02.13 民団新聞)



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