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「W杯」開幕に際して

韓国主要紙の論調



 21世紀初、アジア初、2カ国共催初のサッカーW杯大会が5月31日に開幕、韓日両国を含む32か国・地域の代表チームが、15日からの決勝トーナメント進出をめざし、連日熱戦を繰り広げている。開幕に際しての韓国主要紙の社説(5月31日付け)要旨は次の通り。

■祭典を存分に楽しもう

 ついに「フィーバーノバ」が大韓民国の空に舞い上がる。それは単なるサッカーボールではない。巨大な地球であり、太陽だ。人類の和合と未来への希望を象徴するその太陽は「東方から(From the East)」昇り、世界を照らすだろう。

 向こう1カ月間、世界の60億人が見守る韓日W杯は勝負を競い合う単なるサッカー大会ではない。世界のすべての国家が紛争と反目から解き放たれ、フィーバーノバを通じて和解と感動を分かち合う喜びと希望の祭りだ。大会のテーマのように、人類が手と手を取り合い、疎通し、分かち合う共生の舞台であり、警戒を解きあう文化の饗宴なのだ。

 我々はW杯を通じて、世界を学び、また我々を知らなければならない。W杯を通じて若者に希望と共存のメッセージを送らなければならない。

 ヒディンク監督が鍛えた韓国代表チームは最善の準備を行い、期待以上の戦力を備えている。今や、実戦で正々堂々と競い合い、16強入り以上の成果を上げることを期待する。我々全員「レッドデビル」(韓国代表チームのサポーター)と共に熱い応援を送りながら、祭典を存分に楽しもう。

(朝鮮日報)


■和解と寛容平和の中心に

 新しい千年の初めてのW杯が韓国と日本の両国で開かれるのは、決して偶然ではない。それは21世紀がアジアの世紀であり、その中心舞台が北東アジアとなるだろうことを象徴するものだ。新しい世紀の中心的価値は「寛容」である。

 ところが昨年、世界中を驚がくさせた「9・11同時多発テロ」と、それに続く対テロ戦争から表れているように、寛容の地球村時代が顕在化するには、依然文明間の排他性と人種、地域間のかっ藤の壁が高い。

 この排他的憎悪と没理解的葛藤の壁を取払うのが、W杯サッカーである。そして、まさにその大会が、新世紀の初めに、東北アジアの両国で同時に開かれる。和解と寛容、平和の中心としての韓国と日本、という世界史的意味が、韓日W杯に内在している。しかも、韓日両国は、過去に不幸な歴史を共有しているということから、和解と寛容のイメージは特別だろう。

 ここで、ひとつ残念なことは、北韓がついに参加できなかったことである。だが、今大会を通じて、韓半島の分断の現実に対する、世界の平和を愛する人々の関心はますます高まるだろうし、それが南北間平和共存に寄与するだろう。

(東亜日報)


■和合と跳躍の祝典にしよう

 88年のソウル五輪が韓国を世界に知らしめる契機になったとすれば、今W杯は通貨危機を克服し、「低価格品製造国」から脱し、IT大国として変革した韓国の国家イメージとブランド価値を高める絶好の機会だ。

 W杯はサッカー競技を媒介に、国家的力量の測られる試験台だ。このため、試合の勝敗より「場外W杯」がもっと重要だ。

 競技の勝敗や「16強」にこだわるよりは、素晴らしいプレーに拍手を送る「楽しむサッカー祭典」にしなければならない。韓国の勝利だけを願う「コリア・ファイティング」よりは、外の国チームも応援する世界スポーツの市民意識も示さねばならない。

 今回の共同開催を韓日間の関係増進の機会に活用する「外交W杯」もこの上なく重要だ。両国の政・官・体育界が共同開催を成功させ、スポーツ言語を通じて両国間の問題をサッカーボールのように丸く解決する、成熟した姿勢を示すべきだ。

 全世界の4000余人の経済人が集う「CEO場外W杯」、伝統と未来が調和した前夜祭と開幕式が提示する「文化W杯」を、韓国経済の活力と文化資産をグローバル化させる契機として積極的に活用すべきだ。

(中央日報)

(2002.06.05 民団新聞)



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