民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
在日同胞史教材に

当時の厳しい世相浮彫りに



新聞記事を
資料集にまとめた
福島さん
『新聞で読む奈良 戦時下・戦後の日本人と朝鮮人のくらし』
1941〜1950年報道を紹介

 【奈良】解放前と直後の激動の時代をたくましく生きてきた奈良県内の在日同胞1世の生活史を当時の新聞記事をもとに丹念にたどった資料集が、このほど天理市内の日本人教員、福島俊弘さん(47)の手でまとまった。戦時中は日本の植民地政策のもと、皇国臣民たることを強いられた日常生活。解放直後は密航、密造酒摘発などの記事から当時の厳しい世相の一端が浮かび上がってくる。

 資料集は1941年から50年まで。おおむね10年間の記事を読みやすく書き直した。当時の雰囲気を知る手がかりにと、写真や絵を掲載した新聞記事のコピーも随所に収録した。収録の基準は在日同胞や在日同胞を囲む日本人の当時の生活ぶりがよく分かるもの。

 主な出典は大阪朝日新聞、大阪毎日新聞、奈良日日新聞、大和タイムスなど。昨年5月から日曜日を利用して奈良県立図書館に通い、コツコツ転載した。4紙のうち、大阪朝日新聞だけはマイクロフィルムに収録されていた。だが、他紙は新聞が破損する恐れがあったためコピーできず、カメラで写し取ったり、直接書きとめたりもした。

 戦時中の記事には「内鮮融和」「皇国民」といった語句が目立つ。本人の意思とは無関係に日本に来ざるをえなかった韓国人が、いかに日本人たることを強要されたか。それは橿原神宮への参拝強要、神棚設置など具体的な事実が証明している。特に故郷のおみやげにと国債を購入させられたという事実は象徴的な例といえる。

 解放後の記事では朝鮮人連盟の結成、民族学校建設と廃止令、民団奈良県地方本部結成の事実も紹介されている。また、櫻井での大火に地元の朝鮮人連盟支部が義援金を贈るなど、在日同胞と日本人の間では当時から血の通い合う交流もあったようだ。このほか「密造酒の香りプンプン/櫻井で大壺17個挙がる」といった記事からは在日同胞のひっ迫した生活ぶりがうかがえる。

 福島さんは「これらの資料は金属回収、柳本飛行場など項目別や都市別に整理しなおせば、地元奈良の歴史学習資料に有効に働くのではないか。こうした試みが全国に広がっていくことを願っている」と話している。


■□
在日1世の証言に肉付け

 福島さんは天理市立北中学校夜間学級で在日同胞1世のハルモニらに日本の文字を教えるかたわら、生活史の聞き取り作業も続けてきた。これは日本の植民地下で生きた在日同胞1世の姿を記録にとどめておくことが、「現在の在日韓国・朝鮮人はもとより日本人の豊かな生活にもつながる」との思いからだった。

 夜間中学の在籍生徒は72人。このうちの4分の1が在日同胞だ。桜井市在住の朴尚任さん(80)もその1人。朴さんからは在日同胞の多くが「ひのきなわ」の生産で生計を維持してきた事実を知る。「ひのきなわ」とは木造船用の目止め。ひのきの皮をはがして縄に編んだもの。

 福島さんは在日同胞が桜井市の地場産業を担ってきた事実に着目、「ひのきなわ」の生産を中心に県立図書館で戦中、戦後の新聞記事を丹念に調べ直すようになった。その過程で在日同胞や彼らと共に生きた日本人に関する興味引かれる記事を丹念に抜き出すようになった。これが今回の資料集づくりにつながった。

 100部作成、「教材として活用してほしい」と学校関係や関係機関に配った。

(2002.07.03 民団新聞)



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