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民団西宮支部の高承浩さん

団員宅コツコツ訪問27年

班長の責任まっとう


高承浩さん

「体の許す限り頑張る」と意欲

 民団支部の第一線の働き手が班長。団員一人ひとりと接触し、団費の徴収はもとより末端の団員の様々な要求を汲み上げるという重要な役割を担っている。民団兵庫・西宮支部の高承浩さん(73)は班長制度発足と同時に今津第2区班長を任され、27年間欠かすことなく責任をまっとうしてきた。

 これほどの長期にわたって職務を遂行してきた班長は民団兵庫管内では高さんだけ。同支部は5月24日の大会席上、高さんに感謝牌を贈り、長年の功労に報いた。また、金彩玉支団長からも故郷、済州への往復航空券が贈られた。

 高さんの担当地区である今津第2区は、多いときは団員23世帯を擁していた。職業的には建設会社、麻雀店、韓国料理店と様々。昼間に会えなければ夜間に。愛用の自転車に乗って何回も戸別訪問を繰り返してきた。一巡するのにざっと2時間半。今は団員数が約半分に減ったとはいえ、団費徴収ばかりか花見など支部の重要行事への動員もあり、たっぷり1時間をかけている。

 自転車がパンクしたりタイヤが破れても、費用は高さんの自己負担だ。支部に請求したことはない。奉仕活動と割り切っている高さんにとっては当然だが、家族からは理解されなかった時期もあった。

 「団費もらいにいくのはもういいかげんにしてやめて」と二人の子供から言われたことも一度や二度ではない。そんなとき、高さんは「民団があるから国民健康保険にも入れるようになったし、生活もましになった」と説き聞かせてきた。

 民団に班長制度ができたのは71年のこと。高さんとてこれほど長く班長を務めるとは夢にも考えなかったようだ。支団長が交替する都度、辞意を伝えるものの翻意を促されてきた。毎月五、六万円とはいえ貴重な財源、それ以上に「隠れた功労者」を手放したくないとの思惑が働いたようだ。

 高さんは「ごくろうさんの一言に励まされここまでやってきたようなもの。これからも体の許す限り頑張りたい」と話している。

(1998.5.27 民団新聞)



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