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在日オリニ・サッカー教室の監督

-文京一さん-

韓国少年国体出場へ夢
オリニ育成で同胞社会に恩返し


 サッカーを通じて在日オリニの輪を広げたい。全国初の在日同胞児童を対象にしたサッカー教室、「ムグンファ・ジュニア」が発足して1年半を迎えた。この間、ボールを蹴ることもできなかった子どもたちが立派な「選手」として成長。そればかりでなく、同胞どうしの仲間として「チームワーク」が芽生えたほか、地域社会との交流にも小さな役割を果たしてきた。サッカーとは言え、毎週1回、これだけ継続して在日の子どもが集っているのは、全国でもここだけ。監督の文京一さん(44)に聞いた。

 文さんはいわゆる「同胞多住地域」で生まれ育った。河川敷といえば野球少年がほとんどのはずだが、文さんの幼少期はサッカーだけだった。

 貧しかった家庭だけに、グラブやバットなど野球は文さんにとってぜいたくなスポーツだった。近所の同胞のお兄さんと布きれで作ったボールを蹴りはじめたのがサッカーとの出会いだ。東京韓国学校に通った文さんは中学、高校とサッカー部に入部した。

 日本の公式大会への出場資格が与えられなかったこのころ、唯一の目標は韓国国体出場選手選考会を兼ねた、各民族学校による対抗試合だった。そして文さんは高校時代の三年とも代表に選抜された。

 しかし、在日同胞選手団構成の段階で予算などの関係によって、高校サッカーの派遣を取りやめることが多く、運悪く文さんは3年ともこの「不参加」の年に当たってしまった。  「こんな悔しい思いを後輩たちにさせたくない。韓国国体参加は民族教育につながるはずなのに」。

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 高校を卒業し専修大学の2部に進学しながら、昼は在日体育会に就職した。そして、早朝に東京韓学の生徒とともに汗を流し、韓国国体に毎年出場させることを実現した。  苦学生だった文さんは高校、大学と韓国教育財団から奨学金を受けた。

 「この恩を何とか同胞社会に返したい。サッカーしか取り柄のない俺ができることは、いつか同胞の子どものサッカー教室を作ること」。文さんはひそかに夢を持ち続けた。数年前から日本でもサッカー熱が上がり、あちこちに少年サッカー教室が増え始めた。

 「在日同胞は日本人の数倍もサッカーが好きなはずなのに、少年サッカー教室がどこにもない。今こそ作ろう」。文さんはオリニサッカー教室を設けることを決意した。高校時代のサッカー仲間や先輩にこのことを呼びかけたところ、多くの賛同を得た。実業団チーム入りしたかつての仲間も無報酬でのコーチを名乗り出てきた。96年11月に「ムグンファ・ジュニア」をスタートさせた。

 現在、50人の子どもたちが所属しているが、昨年夏には、崔淳鎬さんと木村和司さんとともに韓・日・在日の合同韓国キャンプを実現した。ともに本名を呼び合い、サッカーを通じた民族教育にもつながっている。

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 文さんは子どもの頃、日本人からのいじめは日常茶飯事だった。ところが2002年W杯の共催決定で日本人は在日への意識を大きく変えてきた。

 「昔は“チョーセン”と石を投げたのに、今は共催の仲間としてあちこちからサッカー行事に招待されるようになった。韓日のぎくしゃくした関係をサッカーが変えようとしている。やはりサッカーを愛していて良かった。体が動く限り子どもたちに教えたい」。

 この教え子たちを韓国の少年国体に出場させることをめざしている。それは勝つことが目的ではない。「子どもの頃の思い出は一生忘れないはず。母国の晴れ舞台に立つことによって、韓国人としての誇りを持ってくれるからだ」。文さんは再び、ひそかな夢を追い続ける。

(1998.6.10 民団新聞)



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