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仏W杯は2002へのキックオフ


 今世紀最後のサッカーのワールドカップ(W杯)フランス大会が開幕を迎えた。2002年大会共催国の韓国と日本がともに出場する同大会の開幕は、そのまま2002年大会へのカウントダウンでもあり、四回連続出場の韓国、悲願の初出場を果たした日本の健闘をともに祈りたい。

 とくに韓国は昨年末、外貨不足による経済危機によって、「6・25動乱以来の国難」といわれるIMF体制下に陥った。このようなときだからこそ、国民の気持ちを高め、経済危機を克服する勇気を与えるためにも「ベスト16入り」という韓国代表の悲願達成を心の底から祈りたい。

 2002年韓日大会は初の共催、初のアジア開催、21世紀最初の開催と3つの「初もの」要素を含んだ大会だが、これを前にこのフランス大会でもうひとつ、「初」の出来事がお目見えする。

 韓国と日本の試合を在日同胞と日本人のサポーターがひとつになって応援する「韓日共同応援団」だ。

 「2002年に向け、韓国と日本がライバルからパートナーに」をスローガンに在日大韓体育会が企画したもので、同胞や日本人から大きな反響を受け、定員を大きく上回る応募があったという。


真のパートナーとして

 過去の不幸な歴史を背負った韓日両国は、半世紀を経た今もなお、ぎくしゃくした関係を払拭できない。日本に対し、韓国が唯一誇れたのがサッカーだった。日本に負けることは「民族の屈辱」と言われるほど、そのプライドとライバル意識は計り知れない。

 2年前の5月31日に2002年のW杯開催地が韓日共催に決まったが、この招致をめぐって熾烈な戦いを見せたことは記憶に新しい。共催決定後、両国の関係者や政治家らは「成功に向け、二人三脚で協力を」と唱えた。

 そして昨年11月1日、ソウルの蚕室で行われたW杯フランス大会・アジア最終予選の韓日戦で大きな変化が見られた。韓国のサポーターが「ともにフランスへ行こう」との横断幕を掲げ、日本にエールを送ったのだ。

 韓国がいち早く本選行きを決めていたという余裕もあったろうが、崖っぷちだった自国代表を応援する日本のサポーターにとっては、「目からうろこが落ちた」ような驚きと感動だったという。

 「共催ということで、心の片隅にわだかまりがあったが、真のパートナーとして一緒にやっていけることを確信した」。この試合には1万人という日本のサポーターが観戦に駆けつけたが、その多くの人がこう思ったと言う。


サッカーで始まる友情

 両国のサポーターはこれを機会に交流を深め、友情の輪を広げていった。

 今回の「共同応援団」はこの友情の輪をさらに強固にするものであり、2002年大会への大きな試金石になるだろう。

 この共同応援団の企画によって、日本のサポーターからもうひとつ、変化が表れた。

 IMF体制によって大規模応援団の派遣ができないと言う韓国サポーターの事情を知った日本のサポーターらが「ならば私たちが韓国を応援したい」と友情応援を名乗り出た。サッカーで戦争を始めた国もあるが、韓国と日本のサポーターはサッカーで友情を育んだのだ。

 民団が創団50周年で明示した「共に生き、共に育み、共に創ろう」とのスローガンはこのようなところから実現している。

(1998.6.10 民団新聞)



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