民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
オリニの未来見つめて<4>
各地の保護者会・オリニ会の動き

大阪・ソンチャバ子ども会


ソンチャバ子供会に集うオリニたち


同胞家庭訪問し糾合

 「ソンチャバ」とは、「手をつないで」という意味の韓国語。次代を担う在日同胞と日本の子どもたちが、差別したり、民族を卑下せず、お互いの文化を認め合いながら、同じ地域の仲間として仲良く手をつないで生きてほしいという親の思いからつけられた。幼い時からどんな偏見も差別も許さない人権意識を身につけることが基本だ。

 会の発足は94年4月。きっかけは本名をめぐる民族差別事件からだった。会の代表を務める宋貞智さん(39)の長男、金秀忠(キム・スチュン)君が大阪・西成区の日本の小学校に入学したところ、すぐさま名前をからかわれる「いじめ」にあった。

 入学して3日目、「ぼくの名前は変な名前か」と子どもは聞く。何かあったのかと思ったが、子どもはそれ以上何も言わない。翌日も同じことを聞いてきた。学校に問い合わせると、先生までが「キムチ君のことか」と言い放った。

 その後、子どもの口から「シチュー。キムチ」と繰り返し言われていることや、名札を見た上級生がつきまとい、「ここは日本や。韓国帰れ」と指をさしたり、時には傘を突きつけられて脅かされているという驚愕の事実を知る。

 一カ月余り後、子どもは名札をつけずに登校し始め、上級生を恐がり、学校に行くことすらいやがるようになった。

 「日本の名前がほしい。死にたい。生まれ変わったらフランス人になりたい」という子どもの必死の訴えに、民族差別の実態把握を学校側に求めたが、大阪市では教育指針が策定されていたものの、学校の具体的な取り組みにはつながらなかった。

 親が立ち上がるしかない。自分の子どもだけの問題ではない。通名の子どもたちもどこかでいじめの現場を見ているだろうし、その子どもたちもきっとしんどい思いをしている、と思った宋さんは同じ学校に子どもを通わせる同胞家庭を一軒一軒訪ね歩く。

 「せっかく同じ地域に住んでいるのだから、親の思いを学校に届けよう」と説得して回った。

 「将来、どういう子どもに育ってほしいのか、日本人とどういう仲になってほしいのか。共通項の多い同胞の親が、できるところから始めよう」と訴えた。

 しかし、二世の後半あるいは三世の親たちは、差別に対して「言っても仕方ない」とあきらめていた。中には「本名を名のらせるあんたが悪い」とつっかかる親や「うちは帰化するつもり。ほっといて」と突き放す親もいた。

 学校には7世帯、10数人の同胞の子どもがいたが、本名は通学は宋さんの家庭だけ。それでも1年間かけて親たちと話し合い、学校とも交流を持ち続けた。親も「自分たちが経験した辛い思いを子どもにまで味あわせたくない」と思うようになった。

 こうして市教育委員会や学校などと話し合いの中から会は動き始めた。スタートは5人、月に一度の交流だったが、小・中学生の仲間づくりのために韓国料理や民俗の遊びを取り入れたり、本名の意義や在日同胞の歴史、人権学習などを進めてきた。2年目からは毎月2回集まっている。

 ソンチャバ子ども会への連絡は、06(657)2254へ。

(1998.6.10 民団新聞)



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