民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
韓国人元BC級戦犯への補償
早期立法化促す

東京地裁判決


上告審まで闘うと決意を語る
原告の一人、金完根さん
(報告集会で)

「条理」に司法の壁厚く

 判決理由で石川健吾裁判長は、原告団の請求する人道・正義に基づく国家補償と謝罪文送付請求について一定の理解を示し、「国政関係者においてこの問題の早期解決を図るため適切な立法を講じることが期待される」と述べた。ここには、原告が戦犯の汚名をきせられてから五十年余りの歳月が経過していること、九一年十一月の提訴からこのかたすでに原告団を構成していた文泰福さんら二人が死亡している現実への配慮が伺える。

 しかし、裏を帰せば戦争被害者の救済は立法政策上の問題で司法の手には負えないということでもある。弁護団では、日本軍に忠誠を尽くして戦犯とされたこのケースを「民族的アイデンティティーの侵害」と位置付け、「立法裁量権が排斥されるべき領域」と訴え続けてきた。それだけに司法の壁の厚さを思い知らされた格好だ。

 ここでも、戦争犠牲は、国の存亡に関わる非常事態にあっては植民地出身者も含め等しく受忍しなければならないとする“戦争犠牲受忍義務論”が色濃くにじみ出ているかのようだ。弁護団では既に上告の方針を決めているが、この“受忍義務論”をどう突き崩していくかがひとつの焦点となりそうだ。

 控訴審終了後、弁護士会館で開かれた報告集会席上、弁護団からは「条理の基となる事実には第一審と比べ、踏み込んだ判決。なぜ早期立法化が必要なのかをめぐり、その理由はあちこちにでてくる」と評価する声も。これにたいして対照的だったのが、怒りを圧し殺すかのようにじっとうつむいていた原告団だった。

 李鶴来さん(73)は「(一九五六年から四十年余り)日本政府に要請してきた。らちがあかず司法にもっていった。なのに、行政府にもっていけという。もう少し踏み込んでほしかった。亡くなった友人、原告に報告のしようがない。このまま中途半端におわるわけにはいかない」と決意を新たにしていた。同じく原告の一人、金完根さん(76)も「裁判から七年。そのまえに五十年近い運動がある。それを踏まえるとリップサービスにすぎない」と吐き捨てるように述べた。

 高齢化する被害者に残された時間はわずかでしかない。早期立法解決を求められた政治の側からの回答が求められる。


国会議員の対応に注視
民団中央が談話

 原告らは、服役後釈放されてから現在に至るまで、四十数年にわたり日本政府に対して国家補償や刑死者の遺骨返還などを訴えてきた。また、日本の戦争責任を肩代わりさせられた結果、“対日協力者”のレッテルを貼られ、祖国にも帰ることができず身寄りのない異国で苦しい生活を余儀なくされてきた。そしてその解決の道を司法に求めて提訴したのである。

 にもかかわらず、「早期」の立法措置が望ましい」と独自の判断を避け、ましてや、去る四月に長期に亘って措置を施さない政治の怠慢にペナルティを科して速やかな立法解決を促した戦後補償関連の「関釜裁判」判決(山口地裁下関支部)よりも後退した内容と言わざるを得ない。

 本団はこれまで、在日韓国人の戦後補償は“日韓請求権協定”から除外されていると再三主張してきた。ついては、補償を受けるべき当事者の高齢化に鑑み十二日の選挙で新たに参議院議員になった国会議員をはじめとした全ての衆参国会議員の良識且つ誠意ある対応を強く望むものである。

(1998.7.15 民団新聞)



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