民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
オリニの未来見つめて<8>
各地の保護者会・オリニ会の動き

神戸・同胞児童生徒保護者会


長田マダンで舞踊を披露するオリニたち


誇り培う場を保障したい

 神戸在日韓国・朝鮮人児童生徒保護者の会の代表は、高校一年生と小学四年生の男児のアボジ、金シンヨンさん(45)。本名子育てのまっただ中にある二世だ。

 長男が小学校三年生の時のこと。学校や塾で「キムチくさい。チョーセン」とからかわれ始めた。学校側と話し合いを持ちながら解決の道を探ったが、一方で在日同胞への差別や偏見は「日本社会の問題性」であると同時に「親である自分自身はどうなのか」と考え込む契機になった。

 思い起こせば、金さん自身も「民族」についてプラスとマイナスの二つのイメージを持っていた。それは両方とも日本の教師から植え付けられたものだという。山口県下関市で生まれ、小学校時代は日本語読みの本名通学だった。同胞が多く住む地域で育ったせいか、民族的な環境をすんなり受け入れていた。

 ところが、小学三年生の時に神戸に引っ越すことになり、転校を前に担任の先生はこう言ったのである。

 「都会に行ってもチョーセンはチョーセン」と。

 これが自分の民族について卑屈な思いを抱く始まりとなった。

 中学進学を期に日本名に変えた。すると今度の先生は「何で名前を変えたのか。いい名前なのに」と諭した。目の前がぱっと明るくなったのは、言うまでもない。

 何気ない教師の一言が子どもを痛く傷つけたり、逆に子どもに勇気や活力を与える。先生は子どもにとっていかに大きな存在であるかの一例だ。

 あの頃と何が変わったのかと自問する中で、「日本の学校で同胞の子どもたちは依然として民族的な自覚や誇りを培う場を保障されていない。自らを知ってこそ異なる個性を尊重し、認め合う共生の関係をつくることができる」。

 親が子どもの将来のために声をあげることによって、学校が変わり、地域も変わってくると確信し、九三年から月に一度親たちが集まり、思いをともにする中で、「神戸保護者の会」を九四年一月に発足。

 九五年の阪神大震災以降は、親同士の会合は不定期になったり、被災のひどかった長田地区から出て行く同胞もいるが、子どもたちは日本の学校が休みになる第二と第四土曜日に集まってくる。オリニソダン(子どもの書堂=学舎)だ。

 会場の勤労センターには、毎回十五人ほどが、午前中前半はウリマルやウリノレ、民俗ノリ、後半はチャンゴの練習に取り組む。「覚えてもすぐに忘れるのでは」という声もあった。

 しかし、九五年のスタート以来、市内各地から駆けつける熱心な親子も含め、三年も続けると子どもたちが生き生きと「民族」を実感するのがわかる。目に見えて変わってくる子どもの姿が、親自身を照らし直す契機になる。

 「民族なんてとんでもない」と言っていた親が、地域の祭り「長田マダン」でチョゴリ姿でチャンゴを演奏するわが子を見て涙を流す。あるオモニは学年の途中から子どもの通名を本名に変えた。「すっきりした。うれしくてしょうがない」と手放しの喜びようだ。

 神戸市と兵庫県はいまだに教育方針を策定していないが、保護者や教師、市民らが学ぶ「オープンセミナー」も今年で八回目を数え、頑なな教育現場に新風を送り続けている。

 昨年ようやく学校給食メニューに「トック」が仲間入りしたのも、地道な実践があったからだ。

 「神戸保護者の会」への連絡は、電話、FAXともに078(577)9758まで。

(1998.7.15 民団新聞)



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