民団新聞 MINDAN
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オリニの未来見つめて<9>
各地の保護者会・オリニ会の動き

奈良・ケグリオリニ会


チャンゴを教える活動も展開している

 保護者会、オリニ会といえば、オモニの活動をイメージしてしまいがちだが、奈良県の大和高田ケグリ・オリニ会は、既婚者、保護者というワク組みにとらわれず、想いをもつ人の集まりによって運営されている。

 会の代表は在日三世の金康子さん(35)。民族性の希薄な環境から生じた自己のアイデンティティの煩悶、差別の壁を克服できなかった体験を、今を生きるオリニには繰り返させたくない、在日同胞である自分自身と向き合い、将来を切り開いていく力を培いたいとの一心から九四年十月に取り組みを始めた。

 日本の学校に通名で通い、特に自分の民族を意識することはなかったが、高校入学後、「成績がよく教師志望だった卒業生が、二度も受験に失敗した。調べてみたら、『在日』だから落とされていた」という先生の発言に強い衝撃を受けた。

 「表だった差別はできないので、とりあえず受験をさせるが、日本の将来を担う子どもを教える職に、在日同胞を選びたくないから落とす」。その卑劣さに腹立たしさを覚えた。

 しかし、先生は「在日」の歴史や制度的排外については教えず、「本名を名のらないのは、朝鮮人と知られることが恥ずかしいからだ」と無責任な発言もした。「違う!生まれた時からの名前なんだ」と怒りでこぶしが震えたが、反論できなかった。悔しさの日々が続き、厳しい民族差別にも直面していくなか、日本の同化教育しか受けず、反論するだけのものが自分の中にないことに気づく。

 高校卒業と同時に本名を名のり始めたが、「きんやすこ」としか読めず、その後、指紋拒否運動で知り合った青年会京都のメンバーから「キム・カンヂャ」と教わった。アメリカ留学を終えて再び地元へ。市当局に、民族共生教育の柱となる教育指針と策定委員に在日同胞を選考することを働きかけた。民団、総連の連名、同胞の署名を集めて実現にこぎつけた。

 九六年三月に「在日外国人教育にかかわる指導指針」が公示され、同年十一月には「民族との出会う場」整備検討委員会が発足。五回の会合の末、今年七月から民族にルーツをもつオリニを対象に民族学級「みんぞくの広場〜ミレ(未来)〜」がスタートした。

 この奈良県初の取り組みの実現は、毎月第一土曜日に同胞や日本の教師らと運営会議を開き、第三土曜日には高田市内の小・中学校を巡回しながら、人権学習を基軸に、歴史やハングル、音楽、民俗ノリなどを学ぶオリニ会活動の実績が認められた結果である。毎回五十人以上の参加があり、四年間で延べ三千人が集まった。

 「私の名前をハングルで書いたオリニの年賀状が届くようになった」と胸を弾ませる金さん。今年四月から氏族学級を支える会「ポンソンファの会」も発足し、会員募集をしている。同会への連絡は、電話、FAXともに0745(52)0402まで。

(1998.7.22 民団新聞)



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