民団新聞 MINDAN
在日本大韓民国民団 民団新聞バックナンバー
オリニの未来見つめて<10>
各地の保護者会・オリニ会の動き

東大阪・同胞保護者会


親子で楽しむ運動会も開催している


親たちの民族素養を追求

 一万八千八百三十一人の在日同胞が住む東大阪市(九八年六月末現在)に「在日外国人園児・児童・生徒に関する教育指針(主として在日韓国・朝鮮人園児・児童・生徒)」が策定されたのは一九八二年のことだ。指針を受けて今日まで二十三の公立学校、二十四学級に「母国語学級」が設置され、同胞の保護者会も誕生している。

 オリニたちは「母国語学級」でハングルをはじめとした基礎的な民族素養を学ぶ。しかし、民族的に生きようとするオリニにとって週一回の取り組みでは限界があり、オリニを支えるには親の役割が大きいと考えた各地域の保護者らは、一つにまとまった会の必要性を痛感するようになった。

 こうして九四年に初めて地域の保護者らが顔を合わせ、百六十人ものオリニ、保護者らとともにオリニ・ウンドンフェ(子ども運動会)や野遊会を開催しながら、九六年十二月に東大阪同胞保護者会を結成した。

 初代会長に選ばれた左龍子さん(46)は、在日同胞の少ない香川県高松市出身の在日二世で、幼い頃は待ち伏せされて石を投げつけられたり、納骨堂に閉じこめられるなどの民族差別を受けた。「朝鮮人のくせして学級委員になって」と攻撃され、相談した先生にはその痛みをきちんと受けとめてもらえなかったこともある。

 「先生も差別を容認する考え方だとわかり、それ以来先生というものが信用できなくなった」。

 就職のために大阪に移り、同胞多住地域の生野区で暮らし始めた。商店街ではキムチやチマチョゴリなどが自然に売られており、身を粉にして働くオモニたちがいた。

 「在日同胞が出自を明らかにして生き生きしている姿にカルチャーショックを受けた」。

 結婚後に東大阪へ引っ越し、長男を通名で日本の学校に入れたところ、小学校三年生の時に名札を本名に変えて帰って来た。尋ねると、本名通学を進めていた先生の影響だった。本名を素直に受けとめている子どもによって親が変えられ、成長させられると実感した瞬間である。

 会では「在日同胞版PTA」に参加を、と呼びかけてきたが、「子どもの将来を考え、成人する前に帰化する」と言う親がいる。親自身が民族文化や歴史に触れてこなかったし、子どもにも民族と触れる場を準備していない。その悪循環を断ち切る一環として市教委などが年に一回主催するのが、朝鮮文化に親しむ東大阪子どもの集いだ。

 オリニたちはチャンゴを叩きながら民族衣装で地元を練り歩く。「自分たちの時代にはできなかったことを、子どもたちが自然に行っている」と感動の涙を流す親を見つめながら、「本名にこだわりたい。国籍条項の撤廃など、帰化をしなくても生きていける環境をどうつくるかが課題。同胞の友達を増やす会と思ってもらえれば」と多くの同胞に参加を願う左さんだ。同会への連絡は、電話、FAXともに06(720)7260まで。

(1998.7.29 民団新聞)



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