「本名と通名の二つの名前に、小学四年生の娘が疑問を抱き始めている」と、横浜から参加した二世は当惑顔で語った。山口から駆けつけた二世は、民族的なアイデンティティに揺れ動く高校一年生の息子を案じていると、苦しい胸の内を吐露した。
大阪で開かれた「第二回在日コリアン親と子のふれあいの集い」で耳にした言葉である。山口の同胞は新聞紙上で知った広島の同胞保護者会に出向き、相談した上で一緒に参加することになった。
集いでは地元の大阪をはじめ、各地から幼児や小・中学生、スタッフの高校生や大学生、それに保護者ら在日同胞が世代を超えて一堂に会した。日本の教師と企業の人権担当者も輪に加わった。その数は予定の百五十人を超えたという。
大事なことは「在日」というルーツを共通項に、韓国籍、朝鮮籍、日本籍同胞が同胞の絆を確かめあったという点にある。祖国の分断が在日同胞社会に影を落とし、南と北に分かれた同胞は同席することさえ厳しい現状の中で、かけがえのない子どもの将来を思う親の心情が、「同じ釜の飯を食う」大切さを実感させたのである。
多文化共生を確認
異なる民族の人権が尊重され、多文化共生への思いを日本人とともに共有することもできた。親と一緒に本名問題を考えるようにと、教師から声をかけられた中学生の複雑な表情が目に浮かぶ。親が最初から本名だけで生きていれば、彼女の表情は別のものになっていたはずだ。
夏休みを利用したオリニキャンプや支部を利用した夏季学校が旬を迎えている。子どもたちは大自然の中で遊びを通じて同胞の友達をつくったり、民族文化に触れながら同胞の一員であることを自覚する。
大多数のオリニが日本の学校に通名で通っている現状を考えれば、幼い頃から自分の民族を体感する試みは何より重要だ。幼ければ幼いほど民族素養は柔軟な心と体に沁み込み、やがてそのオリニたちが同胞社会のリーダーになっていく。
民団ではオリニを対象にした土曜学校のほかに、大人のために講座制「民族大学」の門を開いている。今年からは常設の東京コリアンアカデミーも開講し、同様の大阪教室も秋口の開講に向けて着々と準備が進む。オリニから大人までのライフサイクルに合った生涯学習が定着すれば、同胞社会の展望は明るいものになるはずだ。
子どもと話す機会をつくろう
山口の高校生はスタッフの一員として、初めて出会う後輩たちの世話に汗を流した。子どもたちを見つめながら、出自が問題視されたり、そのことで傷ついたりせずに伸び伸び育ってほしいと願う側に立ったことだろう。「同じ立場の人に会い、自分が一人じゃないんだということがわかってホッとした。頑張ろうと思う」という言葉に、生き方のヒントを見つけたように思う。
親に言われてしぶしぶ現地に向かう車中では目をつりあげていたが、わずか二日間で柔和な表情に変わっていったと、広島の保護者会関係者も安心していた。
夏休みはふだんなかなか話す機会のない親と子が、対話を取り戻す貴重な時間だ。子どもに背中ばかり見せず、子どもの目をまっすぐにとらえて在日の歴史、学校のこと、将来のことを話し合ってほしい。
在日同胞の中には民族問題の葛藤で人知れず孤軍奮闘を続ける親子がいるかもしれない。出会いの場を多くつくって互いに胸襟を開き、同胞を孤立させない取り組みが真に求められていると痛感する。
(1998.8.5 民団新聞)
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