民団新聞 MINDAN
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オリニの未来見つめて<11>
各地の保護者会・オリニ会の動き

大阪・高槻オモニの会


市民の集いに参加したオモニたちのコーラス

 高槻市の別所、成合、北園地域には、在日同胞が多く住み、同胞同士が仲良く家族ぐるみのつきあいをしている。しかし、一歩外に出ると差別事象は日常茶飯事で、子どもたちは日本の友達から「カンコク帰れ」と言われ、住んでいる場所を「恐い所だから近づくな」と敬遠されてきた。

 親たちは子どもたちの現状と将来を心配して学校側に話しに行くが、先生はまともに対応してくれなかった。かつては泣き寝入りやあきらめるしかなかったが、「自分たち自身が変わらないと子どもたちが強く生きていけない。在日の子を持つ親の思いや悩みをともに話し合い、一緒に頑張ろう」と決意するようになった。

 こうして一九九二年四月、オモニら三十余人によって高槻オモニの会が誕生した。現在の代表は尹正子さん(47)で、在日二世を中心に、二世と結婚した日本人もいれば、韓国生まれの中国人やソウルから嫁いできた人もいる。

 共通項は「在日」の子どものオモニであるということ。オモニの会という名称はシンプルだが、これは女性=受け身という従来のイメージを変え、自らの主体的運営を明らかにするためのネーミングだと、二世の金優子さん(41)は言う。

 会では月に一回のペースで『オモニ』ニュースを発行している。定期会合の報告をはじめ、本や料理の紹介、身の回りの出来事をまとめた四コママンガなどが主な内容だ。これまで五十五号を出している。

 ところが、毎回何を載せるかが頭痛の種だった。思いついたのが、オモニたちへのインタビュー。当初はページを埋めるために始めたものが、オモニたちの肉声が活字になるごとに大きな反響を呼んだ。

 在日を生きてきた十七人のオモニたちのドラマは、オモニ文庫の第二弾として『十八人目のオモニに』という名の冊子になった。

 文庫の第一弾は『わたしの目の前にいた在日の子どもたち』で、今から三十年以上も前に高槻市立第六中学校で「在日教育」に先駆的に取り組んだ吉岡治子さんの講演をまとめたもの。「六中」の教育実践はその後、市内の小・中学校に波及するとともに、オモニの会の母体である高槻むくげの会の発足につながっていったという。

 今年からは活動のマンネリ化を避けるために、五月から一テーマ三回の連続講座を開いている。金さんによれば、この参加型学習(ワークショップ)の年間テーマは、自分たちの中にある差別意識を見つめ直し、親自身を解放させること。

 すでに「子どもは誰のもの」で人権を取り上げ、九月からは同胞の気持ちの中に根強く残る男尊女卑などにメスを入れる「男女の役割分担」予定している、と三世の金幸枝さん(39)が続ける。十二月からは在日同胞と同じように屈折していくことが懸念されるニューカマー問題にスポットを当てる。

 同会への連絡は、電話0726(71)1239、FAX0726(61)6054を。

(1998.8.5 民団新聞)



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