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デビュー20年の在日歌手・朴聖姫

9月3日にリサイタル


9月3日にデビュー20周年
リサイタルを開く、朴聖姫さん


■心の叫び…歌にたくし

 北の港清津へ/まだ見ぬ北の港清津へ/あなたを乗せた船が雨と涙に送られ/むかった港は北の清津…

 これは朴聖姫さん(49)が作詞した初のオリジナル曲「ああ清津へ」(作曲・中村八大)の一節だ。八八年に発表して以来、リサイタルでは必ず取り上げている。北韓への帰国船第一便が新潟港から清津へ向かってもう三十九年。六千人の日本人妻も含めて九万三千人もの在日同胞が旅立っていった。朴さんの大切な人もその一人。ただ一度も日本に戻ってこれず、再会への希望、思いもはぎとられたまま。「帰国運動とはなんだったのか」との「心の叫び」が朴さんを創作の世界に駆り立てた。


■自分の歌を歌いたい

 「自分の歌を歌いたい」との気持ちはここ数年強まりつつある。それが「ああ清津」であり、フランクフルト滞在中、分断された祖国に思いを馳せて作詞・作曲した「森よ語っておくれ」の作品などだ。

 どちらかというと「ただ明るいだけの歌はだめ」。シャンソンを中心にカンツォーネ、タンゴ、ドイツ・リートとレパートリーは百曲以上あり幅広い。中でも「思いのこもった曲」を好んで歌うことが多い。韓国の歌では、「鳳仙花」「窓の外の女」などがそれだ。


■大人の成熟した歌が持ち味

 しっとりした大人の成熟した歌が、朴さんの持ち味。在日同胞の音楽プロデューサー、李テツ雨さんは「時勢にながされず、学生時代から“在日のシャンソン”をしっかりした歌唱力で淡々と歌ってきた。自分の姿勢を見事に貫いている」と話す。

 小学校の給食のとき、校内放送でイブ・モンタンの曲が流されたことがある。シャンソンはすでにそのころから好きだったという早熟の少女だった。高校二年生のとき、民族的出自を隠していることに悩み授業中に“本名宣言”した。家族も表札を「新井」から「朴」に変え後押しした。


■欧州留学で磨き

 大学は東京芸大ピアノ科に入ったが、フランス語を学びたくて上智大外国語学部フランス語学科に入りなおした。民族心の強い父親の勧めを受け、韓国語も大学在籍中にマスターした。その後、パリ大学ソルボンヌに一年余り留学。フランス語に磨きをかけ、さらにベルギー、ドイツの空気にも浸った。

 七八年の秋に銀座のライブハウスでデビュー。観客が五十人入れば一杯の小さなステージだった。朴さんは「ただ単に歌いたかった」と当時を振り返る。「私の心はバイオリン」など三曲をフランス語でしっとり情念をこめて歌い、たちまちファンの心をつかんだ。四カ国語を自在に話す「クワトロリンガル」としても注目された。


■9月3日に記念リサイタル

 朴さんは歌手デビュー二十周年を振り返り「あっという間だった」と話す。九月三日には二十周年記念シャンソンリサイタル」を東京・天王洲アイルのアートスフィアで開く。曲はシャンソンとオリジナルが半々の構成。いまはタンゴに凝っている。

 チケットの問い合わせは(3201)8116の東京音協へ

(1998.8.15 民団新聞)



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