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「不当逮捕」認められず
外登指紋拒否の尹さん

最高裁で逆転敗訴



判決後の記者会見に望む
尹昌烈さん(中央)と弁護団

 外国人登録証への指紋押捺拒否を理由にした逮捕の是非が問われていた裁判で最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)は7日、「逃亡や証拠隠滅のおそれはなかった」として在日韓国人の尹昌烈さん(42)を逮捕した京都府警だけでなく、逮捕状を出した京都地裁の裁判官の責任も認めた高裁判決を破棄する逆転判決を言い渡した。

 判決理由で大西裁判長は、尹さんに逃亡や罪証隠滅の恐れが強いものであったとはいえない、としながら「京都府警から五回にわたって任意出頭を求められながら正当な理由がなく出頭しなかった」と断定、また、こうした尹さんの行動には「組織的な背景が存することがうかがわれた」とも述べた。これは、「逃亡と罪証隠滅のおそれが強く推認された」として逮捕状の発布の正当性を主張してきた国、京都府側の見解に沿うもの。

 判決言い渡しを受けて弁護士会館で記者会見した尹さんの弁護団は、「不当判決」と語気を強めた。特に小山千蔭弁護士は、「なぜ、日本人と同じ生活をしながら逮捕されねばならないのかという本質的な問題点に何ら答えていない。法律上の解釈だけに逃げようとした」と強い調子で抗議した。


世間の「在任視」が恐い

 一方、尹さんは「これによって、世間の目がどういう形ではねかえってくるのか不安。やっぱり、こいつは悪いことをしたとみられるのが恐い」と声を詰まらせた。

 尹さんは85年2月、外国人登録証の汚損による再交付申請の際、右京区役所で「何度も押しているのになぜ、指紋押捺が必要なのですか」と質問したのに区役所側から納得できる回答が得られず、指紋押捺を拒否した。

 翌86年、京都府警桂警察署の刑事から五回にわたって任意出頭の要請を受けるが、これを拒否。その際、尹さんは押捺拒否の事実を認めたばかりか「逃げも隠れもしない」、「弁護士を通じて拒否をした内容の上申書や保証書、証拠となる外登証のコピーなどを提出している」と出頭要請の度に言ってきた。しかし、86年4月の早朝、自宅で逮捕された。


「時代の流れに逆行」 民団中央が談話

 民団中央本部は7日、徐元テツ国際局長名で「今回の最高裁判決は不当である」とする「談話文」を発表した。

 「談話文」のなかで、民団が中心となり80年代から外国人登録法の改正運動を展開、ハンガーストライキや指紋押捺拒否・留保運動を通じて180万人の署名を集めた結果、93年から特別永住者については指紋押捺が廃止されるに至った事実を指摘。にもかかわらず指紋押捺廃止後にこうした判決が出されたこと、原告の主張を全面的に認めた高裁判決を否定したことに憤りを表明している。

 最後に、民団をはじめとする各界各層が全力を挙げて取り組んできた外登法改正運動は「歴史の審判に委ねたときに、真の評価が下されるものとの信念を新たにする」としている。

(1998.9.9 民団新聞)



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