民団新聞 MINDAN
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オリニの未来見つめて
各地の保護者会・オリニ会<最終回>

連載を終えて



 今年5月20日付からスタートした連載「オリニの未来見つめて」が9月2日付で15回を数えた。取材は新学期が始まる3月から始め、8月下旬までの約6カ月を要した。

 第一回目の兵庫県在日外国人保護者の会を皮切りに、南は福岡、北は東京の保護者会、オリニ会を取りあげてきた。取材をして思ったのは、どの親もわが子を本名で育て、民族との出会いの場を設け、日本社会で堂々と生きてゆける力を育みたいという強い意思を持っているということだった。親だけではない。既婚、未婚を問わず、保護者かどうかに拘わらず、実践に取り組む同胞がいる。

 その背景には同胞たちの多くが、かつては通名を名のって日本の学校に通い、「韓国人であることがばれたらどうしよう」と不安な日々を送ってきた過去があった。先生からも自分の民族を侮辱される辛い体験を経てきていた。だからこそ、かけがえのない自分の子どもや後輩たちには、同じ痛みを味合わせたくないと、立ち上がってきたのだった。もちろん、一人ひとりの同胞はどこにでもいる普通の弱い存在であったかもしれない。

 しかし、共通の思いを重ね合わせるように、点が線になり、やがて線が面になるように、保護者会やオリニ会は各地で誕生していったのである。子どものためにと始めた会が、実は親自身が学び、うっ積していた過去のくびきから解放される場になっていたということもあった。

 会では制度的な民族教育を受ける権利を確保するために、自治体の教育委員会に「教育方針・指針」の策定を働きかけたり、地域の学校などをまわって「在日」の思いを語ってきた。

 同胞たちの投げかけたボールを受けとめるように、日本の教師たちも輪に加わっていく。学校といえば敷居の高さにひるみ、教師といえば不信感をあらわにしていた同胞が、日本社会との新たな出会いで変わっていく。

 教師は言う。「親の正直な気持を学校にぶつけてほしい」と。「たとえ、一人であってもどうしてほしいか語らなければ、日本の教育現場は気づかない」と。会を立ち上げるのには、ほんの少しの勇気を持つことだと熱っぽく語った教師もいる。

 連載を締めるに当たり、今回取りあげられなかった会もあると思う。これから集まりを作ってみようと考えている同胞もいることだろう。大切なのはここは日本だからとあきらめないこと。「在日」だからと泣き寝入りしないことである。

 もしも、周囲に相談できる同胞がいなければ、この連載をひも解いて最寄りの会か、または全国在日コリアン保護者会(06―882―6669)に連絡してほしい。必ず答が出るはずだ。(C)
(おわり)

(1998.9.9 民団新聞)



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