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在日同胞史をネットで

日本人研究者が10年がかりで収集



 【兵庫】解放前の在日同胞の暮らし、運動を伝える当時の新聞記事が、インターネットのホームページで近く閲覧できることになった。データベース化される記事は、京阪神地区だけでも一万六千百十五件を数える。地方史的な視点から在日同胞の隠れた歴史に光をあてるものとして、今後の調査・研究活動に役立ちそうだ。

 ホームページでは、「神戸新聞」「神戸又新(ゆうしん)日報」「大阪朝日新聞」(神戸版、阪神版)、「大阪毎日新聞」(神戸版、阪神版)の一九〇五年から一九四五年までの掲載記事を扱う。

 見出し総数にして一万六千百十五件におよぶ記事は、在日韓国人史研究家の堀内稔さん(51)=写真、神戸市灘区=が、十数年かけマイクロフィルムから丹念に掘り起こし、整理した。これを受けて、研究仲間の京都大学人文研究所の水野直樹さんが、データベースを構築すべく取り組んでいる。早ければ十一月にも立ち上げる計画だ。

 内容は大きく労働運動や労働争議に関するものが多く、続いて失業者問題、教育をめぐる運動、密造酒に関するもの、広く社会問題一般に分かれる。たとえ見出しだけとはいえ、当時の世相の一端を浮かび上がらせており、興味深い。

 たとえば、在日韓国人を見る日本人住民の視点もそのひとつ。「朝鮮労働者内地移入とその将来」(一九一七年八月、毎日新聞四回連載)と題した記事を見ると、韓半島からの渡日労働者は当時、まだ珍しい存在だったようだ。しかし、その人数が増えはじめるにつれて、だんだん社会問題化していく。

 一九二〇年代に入ると、不況のまっただなかで失業者が増え、住宅難も深刻に。「潮のように流れ込む鮮人の群れ」(一九二三年四月二十四日付け、毎日新聞)はやがて日本人住民にとって脅威に映りだす。「大阪市の周囲は鮮人村で取り巻かれ」「人口四千の鮮人町」ができ、「下宿だけでも三百戸」といった見出しが踊りだす。

 当時の新聞は在日韓国人の生活相もあぶりだしてくれる。「わづかな船車賃だけでお先まっ暗な出稼ぎ」、「わずかな収入を割いて五十銭、一圓の送金」。これは「在神、朝鮮の人達」と題して毎日新聞(一九二六年十一月)に連載された記事の一例だ。

 協和会運動はなやかりしころの一九四〇年九月十五日付け朝日新聞には、神棚をリヤカーに積んで配り歩く写真が掲載されている。

 堀内さんは、マイクロフイルムを丹念にあたることで、兵庫県における韓国人の隠れている歴史について官憲資料からはうかがい知ることのできなかった「新しい事実」も多く発掘している。韓国併合の以前から神戸に在日韓国人の飴売りがいたという事実もそのひとつ。堀内さんがこれまで知らなかった労働運動に韓国人が関係していたことが、たった一行の記述から明らかになったことも、研究者としては得難い経験だったという。

 ホームページ作成に取り組む水野さんは、「見出しだけでも、調査、研究にいろいろ使いみちがある。阪神地区の新聞をとっかかりにして全国の研究者にデータを提供してもらい、誰でも利用できる共通の財産にしていきたい」と、協力を呼び掛けている。

(1998.10.14 民団新聞)



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