民団新聞 MINDAN
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全世代が集える「10月マダン」に



 ケンガリの甲高い音が心を浮き立たせる。チャンゴのリズムが肩を揺する―。

 今年も「十月のマダン」の季節が巡ってきた。今年は十八地方がマダンを企画し、すでに開催している所もある。地域に暮らす在日同胞と楽しみをともにしようと運動会、伝統芸術公演と様々な手法を凝らした。


今年は18地区で開催

 山形では郷土の風物詩、河原で里芋や野菜、肉を大鍋で煮て食べる「芋煮会」が開かれた。遠くは二時間半をかけて参加した同胞もおり、参加者の笑顔には格別のものがあった。また日本の市民まつりに参加して、伝統舞踊やサムルノリを披露するところも多い。市民に「在日韓国人ここにあり」とパレードする。

 九二年に民団の方針として打ち出された「十月のマダン」は、民俗行事や各種スポーツ活動などを通じて地域の同胞が集える祝祭の場をつくろうという精神からだった。そして何よりも、受動的鑑賞者としてだけでなく自己を表現する能動的な場としてのマダンがつくられてほしいというのが願いであった。

 理由は様々あれど、玄界灘をわたってきた一世たちは、解放後の苦しい経済状況の中でも同胞の絆をしっかりと持っていた。一世たちが集まってマッコリを飲みながら愉快に騒ぐ場面を記憶している二世は少なくないはずだ。根深い同胞への差別意識がある中で、腹を割って話せるのは同胞同士であったことは疑いようもなく、大いに盛り上がる一世の姿は頼もしくさえあった。

 今、一世の存在は一〇%を切ったといわれて久しい。それにつれて同胞同士の付き合いや絆は薄くなっているように感じる。代を次ぐにつれて絆が希薄になっていく。また、同胞の居住地域が散在するにつれて同胞同士が集まることができる「広場」が少なくなっているのも事実だ。


在日独自の文化創造の基礎に

 十月マダンを開催する意義の一つは、日本社会の日常生活に埋没し、同胞との付き合いを失いつつある人に対して、「同胞同士の付き合いもこんなに楽しいんですよ」と体験してもらうことにある。

 もう一つは、在日同胞社会に民族文化を根付かせることだ。まずは物マネでもいいから本国から学んだ文化をしっかりと持ち、そこから在日同胞独自の文化を育てていくことが必要とされている。だから、自己参加型のマダンが望まれてもいる。

 独自の文化創造は容易なことではないが、一歩を踏み出さなければ絶対につくることができない。文化と言えば伝統舞踊などを思い浮かべるが、文化を高尚にとらえる必要はない。ホルモン焼きは在日同胞の文化といってもいいのだろうと思う。芋煮鍋の中にキムチを入れて食べることが広がれば、それも在日の文化といえるのだろう。

 同胞の絆を改めて確認し、広場に集う人々の輪を広げようとするマダンの趣旨を考えれば、一世から四世までより広範な世代が参加できる企画が望まれる。そして、開催地区の広がりも待たれるところだ。

 また近年、在日同胞社会という枠から地域住民の共生を図ろうとするマダンも増えつつある。自らの殻に閉じこもらず、広く日本市民と交流することも必要だ。

 旧知の同胞は近況を報告し合う。見知らぬ同胞同士でも「どこから来たんですか」に始まって「同郷ですな」と話が弾むのは、時間の問題だ。隣では子供の結婚相手探しに余念がない親もいたりする。そんな集いが年に一度あっても楽しいではないか。同胞同士の絆を確認するためにも。

(1998.10.21 民団新聞)



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