民団新聞 MINDAN
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薩摩焼400年祭が開幕

時代に灯せ共生の火



400年の時をこえ、共同登り窯に点火する
沈壽官氏と崔珍栄・南原市長

韓国の窯火、友好誓い共同登り窯に


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美山の窯元ら、故国の火に涙

 薩摩焼を興した韓国人陶工の渡来四百年を記念した「薩摩焼四百年祭」の幕開けを飾る記念式典と韓国・全羅北道南原市から船で運ばれた「窯の火」の点火式などが二十二日、薩摩焼の里鹿児島県東市来町美山(旧名苗代川)で行われ、一カ月あまりのまつりがスタートした。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵に参陣した鹿児島(薩摩摩)藩主島津義弘が一五九八年、韓国人陶工を連行してきたことから始まった薩摩焼。

 こけけドームで行われた記念式典には、地元や九州各地の窯元や四百年前に陶工たちが後にした韓国・南原市の崔珍栄市長などの韓国関係者、民団中央本部の金宰淑副団長や民団九州各地方の団長ら千人が出席して行われた。

 式典は南原市から運ばれた「窯の火」の入場でオープニング。実行副委員長でもある十四代目沈壽官氏が「四百年前、わが祖先たちは土と釉薬だけを持って渡日した。今ようやく故国の火を灯すことができ感無量」とあいさつ。

 崔・南原市長も「今日の行事は韓国陶磁器と日本陶芸との新しいつながりの記録として歴史に残ると思います」とあいさつした。

 民団を代表して辛容祥中央本部団長(金宰淑副団長代読)が「金大中大統領の訪日をふまえ、四百年祭を共生・共存・共栄実現への契機に」と期待を込めた。


400年祭の幕開けとなる記念式で
「感無量」と語る沈壽官氏

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地元児童が友好の誓い

 式典では地元の小学校を代表して六人の児童が(1)韓日の相互文化を学び友達になる(2)韓日をはじめ世界の人たちと仲良くし、心と心の交流を深める(3)韓日友好のしるしとしてこの火を心に刻む―など「友好の誓い」が行われた。

 この後、韓国の国立国楽管弦楽団によるサムルノリや舞踊、地元、湯之元温泉伝統保存会による豊年俵踊りが披露された後、四百年祭を記念して作られたテーマソング(作曲・康珍化、作編曲・亀井登志夫、歌・庄野真代)、「みんな空の下」が地元中学生たちによって合唱され、式典をしめくくった。


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未来につなぐ希望の窯火

 窯の火は十九日、南原市の城跡で火打ち石で炭に採火。韓国製のつぼに収められ韓国海洋大の実習船で運ばれてきた。

 今回の火の搬送の背景には、四百年前の連行の際には、土と釉薬で作ったことから、「窯の火ばかりが日本のもの」という意味で命名された名品の茶わん「火ばかり」へのこだわりがある。第十四代宗家の沈壽官氏ら、窯元らが「故国の火で焼きたい」との願いを込めたものだ。


韓国全羅北道の南原市で採火され、
船で運ばれた窯の火を運ぶ大迫さん

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韓国の火、九州の窯元にも分火

 二十二日、東市来町の漁港に再上陸した火は、白いパジチョゴリの作務衣(さむえ)姿の陶工らに担がれ、両わきに窯元が居並ぶ美山の街道を一歩一歩踏みしめながら行進した。

 式典で披露された窯の火は古代韓国の始祖、檀君を祭った玉山神社に奉納された後、まつりのハイライトでもある美山に新造された「共同登り窯」の初火入れに使われた。

 火は登り窯わきに設けられた「日韓友好の炎」と書かれた灯火台にも点火され、薩摩焼の里、美山を今後も照らし続ける。また、有田など韓半島にルーツを持つ九州各地の窯元にも分火された。

(1998.10.28 民団新聞)



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