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横浜・信愛塾が設立20周年

民族共生実現めざしオリニとともに



日本人教職員から補習授業を受ける子どもたち

 【神奈川】在日同胞の子どもたちにとっては民族的な自負心を養う場であり、外に向かっては民族差別撤廃運動を担うセンターに。横浜・信愛塾はボランティアに支えられながら今年十月、発足から二十周年を迎えた。信愛塾から巣立った子どもたちは百人を超す。 信愛塾のある南区中村町は、横浜市内でも在日韓国人が比較的多く集住する地域だ。関東大震災の混乱のさなかには、在日韓国人の虐殺現場ともなった。

 放課後、近くの学校に通う子どもたちが集まり出した。八畳ほどの一室は、十人がテーブルを囲めば身動きもままならないほど。部屋を締め出された子供は階段に座り、教科書を広げている。指導にあたるチーフスタッフの竹川真理子さん(36)の目を盗んでわいわいがやがや。ここでは在日韓国人という自らの出自を隠す必要もなく、伸び伸びしている。築二十年、老朽化した床がぎしぎしきしむ。

 補習塾は週二回開かれている。試験が近くなると、土曜も日曜もない。近くの公立学校の教員がわざわざ足を運び、ボランティアを務めている。もちろん学習塾ではないので、勉強は二の次。本名のことや在日韓国人の歴史など、お互い触れ合う中で自然と学んでいく。夏はキャンプ、冬はクリスマス会も開かれる。

 信愛塾は大韓基督教横浜教会の日曜学校に通う子どもたち九人を対象に一九七八年十月二十三日、山下町の一角に生まれた。きっかけは、在日韓国人児童が小学校で"朝鮮人"といじめられ、子どもらしい生気をなくしているのが分かったためだ。

 金君植牧師(64)は、「これではあかん」と在日韓国・朝鮮人教育の実施を求めて学校側と交渉、市教委には無知と偏見から本名を受け入れようとしない学校、教師のありようをただす質問上を提出した。市教委との交渉が始まり、オモニが立ち上がった。ここに小・中学校の日本人教員も加わり、七八年には「横浜の民族差別と闘う会」が結成された。

 「闘う会」は信愛塾後援会を組織、大韓基督教会ともども信愛塾を財政、スタッフの両面から下支えしていく。当時から「闘う会」の中心的メンバーとして信愛塾に関わっている後藤周教諭(50)=保土ケ谷中学=は、在日韓国人の子どもたちとの最初の出会いを昨日のことのように覚えている。

 「七八年十月、九名の小 学生が待っていました。元気そうな男の子が自己紹介で『力仕事の好きなキム・スミョンです』とはっきり言ったのが新鮮でした」。

 「闘う会」・信愛塾はその後も横浜市教育委員会と粘り強い交渉を重ねた結果、九一年には民族共生教育の基本方針を勝ち取る。交渉開始から実に十三年が経過していた。現在の信愛塾は施設面、財政面をはじめ多くの課題を抱えている。一方で担うべき活動は広がっている。

 夢は川崎市ふれあい館のような地域交流センターを設立することだ。二十年間積み重ねてきた実績が自信の裏付けとなっている。なお、23日午後二時から恒例のクリスマス会を神奈川県地域労働文化会館で開く。問い合わせ045・252・7862(TEL・FAXとも)

(1998.12.16 民団新聞)



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