| 平和記念公園内への移設が決まった 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」 |
■民団広島の要望から28年、悲願実る
【広島】原爆で犠牲となった韓国人を供養する「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が平和記念公園内に移設されることが決まった。これは昨年末の二十四日に広島市が移設の方針を明らかにしたもので、今年八月八日の平和記念式までに移設を終える。
平岡敬市長は同日の記者会見で「政治的な問題があり、このままでは展望がない」とし、犠牲者の慰霊を最優先にして現在ある碑をそのまま平和公園内の原爆供養塔南側に移す計画を認める考えを明らかにした。移設費用は民団側有志が負担する。
「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は一九七〇年に民団の有志らによって建立されたが、広島市は六七年以降公園内への碑の新設を認めていなかったため、川を隔てた公園西側の本川橋西詰に設置せざるを得なかった。しかし、在日韓国人はもとより、多くの日本人や海外からも「公園の外にあるのはおかしい」との声が相次いでいた。
この間、民団はじめ本国政府関係者らも慰霊碑の公園内移設を多岐にわたって要望し続けてきた。九〇年五月には例外的措置として一度は「南北統一碑」として移設を認める方針を出したが、朝鮮総連との調整がつかず、話し合いは中断していた。
平岡市長は二月の引退を前に「在任中には解決しなければならないと心を傷めてきた。被爆者に三八度線はない。統一碑問題については今後も協議を続けたい」とし、今回の移設を在日韓国人有志の碑として統一碑の予定地以外に移設し、継続して民団と市が話し合いを続けることを確認し、朝鮮総連に理解を求めた。
民団広島県本部の朴義鍾団長は「建立当時から平和公園内への移設を望み、長年市に要望してきただけに、今回の決定を心から歓迎する。統一碑については引き続き実現に向けて市や朝鮮総連と協議したい」と喜んでいる。
また、碑の建立委員長だった張泰煕・民団広島県本部顧問も「二十八年間、命ある限りと思って公園内移設に取り組んできた。これ以上うれしい話はない」と語っていた。
(1999.01.13 民団新聞)
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