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阪神大震災から4年

同胞の街、長田地区で慰霊祭
未だ癒されぬ心の傷




民団と青年会では17日、仮説住宅地の
広場で温かいサムゲタンを炊きだし、
同胞や被災者らに提供した

■民団と青年会がサムゲタン炊き出し

 【兵庫】阪神大震災からまる四年の十七日、神戸市長田区の旧市民球場跡地に設置されている西代仮設住宅で、地元自治会「長寿友の会」が中心となって「合同慰霊祭」が営まれた。民団兵庫県本部(李且守団長)でもこの日の慰霊祭のために温かい參鶏湯二百食分を提供して住民を激励した。

 また、参加者が募金を持ち寄って被災・復興の現場を歩く第一回「こうべ・i(あい)ウォーク」に青年会兵庫(金勝宰会長)のメンバーも参加した。


■長田地区で慰霊祭

 在日同胞百二十九人を含む六千四百三十人の死者を出した阪神大震災からまる四年が過ぎた。街の復興は徐々に進み、仮設住宅から災害復興住宅への転居も急ピッチで進んでいる。しかし、震災の痛手は心の傷となり、いやされないままでいる。特に在日韓国人被災者の多くは高齢で、独り暮らしを余儀なくされているだけに、地域で支えあうケアの充実が叫ばれている。

 「あおぞら広場」にしつらえた急ごしらえの祭壇には、遺族からの了承を得られた在日韓国人を含む七人の遺影が位牌とともに置かれた。また、これまで震災などで犠牲となった三十九人のうち名前、死亡年月日などが確認されている三十人の名簿が張り出された。このなかには金元判得さん(九六年八月十八日死去、七十一歳)、木下博義さん(九六年十一月一日死去、六十四歳)などの名前も確認できた。

 浄土真宗大谷派の僧侶三人の読経が流れるなか、兵庫県内に住む鄭光均さん(53)が、お弟子さんとオカリナで日本の童謡「とおりゃんせ」や「ふるさと」など「追悼の調べ」を次々に交替で奏でた。続いて住民一人ひとりが祭壇に向かい焼香し、冥福を祈った。

 現場では青年会兵庫県本部(金勝幸会長)のメンバーら十人による炊き出しも行われ、民団本部から提供された參鶏湯を調理してこの日集まった住民百人に配った。


長田地区で営まれた合同慰霊祭

■未だ癒されぬ心の傷

 西代仮設住宅は長田区では最も規模が大きく、兵庫県の供給した災害復興住宅への移転が進むなか、現在でも九十四世帯百六十五人が入居している。このうち在日同胞は現在、少なくとも二十六人が暮らしているとみられている。この多くは一人暮らしの高齢者だという。

 長田区蓮池町にある応急仮設「西代住宅」に一人で住む文小先さん(85)は「ここ二、三年もったが、いまは(体が)しんどい」と声を落とした。


■復興住宅入居したが孤独感消えず

 心筋梗塞の持病に加え、震災で腰の骨がずれたまま。視力も弱まっており、かろうじて目の前の人を判別できるくらい。

 震災当時、長田区の自宅は全壊し下敷きになった。救助にあたった住民によれば、がれきの中から右手だけが突き出ていたという。助けだされたときは「体が真っ黒け。炭みたい」。両目はふさがり、膿が出ていた。わずかな交通費だけを手に病院を訪ね点滴を受けた。五日間かかってようやくわずかながら視力を回復した。同仮設住宅には震災直後の三月から入居している。

 家財道具といえばベッドとふとんぐらいのもの。二部屋あるうち、もう一部屋はがらんとしていて寒々しい印象を覚えた。体が不自由なため、入浴などは週二回訪れるヘルパーの手を借りている。文さんは「今日の晩で人生終わりか、明日まで続くのか」とためいきまじりに話した。

 それでも、生活全般にわたって隣近所で助け合える環境はなによりも代えがたいようだ。


■独居老人へのケアが必要

 西代仮設から市営住宅に移ったというある住人は、「仮設住宅は寒暖の差がひどかったが、今考えるとよかった。市営住宅はドアを閉めて、鍵をかけてしまうと遮断されてしまう。一人身の人には生活のなかに会話がなくて孤立した社会です」と述べた。

 毎週定期的に西代の被災者宅を慰問に訪れているコリアボランティア協会の鄭炳熏さん(47)は「戸口を出ればお互いの顔を見られるコミュニティーとしての仮設住宅と違って、復興住宅では人と人との関係も希薄になりがち。復興住宅に移ってからも、地域で支えあえる体勢づくりが求めらている」と話している。

 神戸市では三月末で仮設住宅を撤去する方針だという。

(1999.01.20 民団新聞)



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