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在日同胞にとってのチェサ

祖先敬う心を儀式に
親族大会合の一大イベント



先祖代々の霊をまつるチェサ

■民族確認の効用も大

 在日同胞社会で祭祀(チェサ)は、世代交代や核家族化につれてだいぶ合理化されてきた。しかし、いくら形が変わろうと、祖先を敬う在日同胞の心だけは、世代を超えてしっかり受け継がれているようだ。二世以降の世代にとっては、ただ単に義務感にとどまらない。時空を越えた文化的血脈を確認する場ともなっている。

 在日同胞社会で祭祀を初めてビデオ映像化した「祭祀ー民族の祈り」=「在日文化を記録する会」企画製作(TEL03・3485・2379)は八九年に完成した。すでに千本を販売し、いまでも息の長い売れ行きを続けている。

 なぜ、いま祭祀なのか。日本生まれの世代が祭主を務める時代となり、祖父母や両親から"口移し"で習った祭祀法に込められた思想と実践を再確認したかったようだ。在日同胞の多くは同化・風化にさらされているといわれて久しいが、存外、祭祀に自らのよって立つ場所を求めているのかもしれない。

 ビデオ「祭祀」を制作した呉徳洙監督(57)は、十年前を思い起しながら、「儀式のなかに民族の心が宿っているようで温かみを感じる。祭祀は意外と民族的アイデンティティーを探るうえでは素敵な儀礼なんじゃないかなと撮影しながら思った」と話している。

 祭祀のもうひとつの効用は、兄弟、親戚、身内がひとつの場所に集まり、近況を語り合う「一大懇親イベント」にある。子どもたちもいかめしい顔をした長老の前でクンチョル(大礼)をさせられ、いやでも一族としての絆を再確認することになる。

 「女性の負担が大きい」と家では祭祀をやらない方針の呉崙柄さん(53)=東京・荒川=だが、父親の命日に限っては「親戚が集まる大事なチャンス」と「記念の食事会」を続けている。この食事会には八等親とかなり遠い関係にある親族まで招待するため、十二人ほどになる。呉さんは、「会わなければ近くの他人でしかない。会うというところが身内の大事なところ」と話している。

 任正福さん(58)=大阪・生野=は祭祀すべてを旧暦で行うほどのこだわり派。やはり「親睦の和」になっていると効用を説く。「兄弟どうし近所に住んでいてもなかなか会うことはない。祭礼をすることで兄弟集まって話をするのにこの行事はいいと思う」。

 しかし、世代が若返っていけば、祭祀の考え方も柔軟になっていく。兵庫県に住む金太範さん(37)は「儀式であっても、大切なのは故人を偲ぶ心の部分。親父が亡くなったら、ろうそくをつけて寿司パーティでもよいのでは。好きなものをあげたらいい。もっと手軽に、楽しくできるものにしていく」と話している。

 祭祀の問題に詳しい尹学準氏(目白大学人文学部客員教授)は「時代が変化するにつれて、形式も内容も変わっていく。基本的な精神さえ守っていればいい。お酒一杯で、線香あげるだけでもいい。大事なのは故人を偲ぶ気持ちであり、故人に縁のある人が集まって肉親としての情を確かめあうこと」と話している。


■祭祀(チェサ)とは

儒教から始まり、李朝中期に形式

祖先の命日や名節(秋夕や正月)などに祖先の霊を招いて親族全員で供養する儀礼のこと。

 大きくわけると、名節の朝に行う節祀(チョルサ)、祥月命日の子の刻(午前一時から二時の間)に行う忌祭祀(キジェサ)、墓前祭の時祀(シサ)の三つに大別される。

 祖先の霊が他界に住みながらも常に現世に愛着を持ち、子や孫のいる家族、親族の中に加わって宴を共にすることを最大の念願としているという昔からの考え方による。

 また、子や孫にしても、今は亡き祖先が自分たちの生活を守り、必要に応じて保護してくれると信じ、祖先の霊がやってくることを強く願った。

 現在に伝わる祭祀の形式は、今から約六百年前の高麗末期に中国から導入された儒教や朱子家礼によって始まり、儒教を国教と定めた李朝時代の中期に整い形づくられた。

(1999.02.10 民団新聞)



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