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悲惨なホームレスの子ども

北韓の秘密映像「インサイド・ノースコリア」
越北した「難民青年」が決死の潜入撮影



寒さにふるえながら闇市をあてもなくさまよう少年

貰い食い、拾い食い、盗み食い…
悲惨なホームレスの子ども

■安哲氏との出会い

 昨年末からRENKが中朝国境で展開してきた北朝鮮難民の救援活動中、私はひとりの難民青年と偶然に知り合った。今年三月のことである。それが今回、極秘撮影ビデオで北朝鮮の厚い秘密のベールを引き剥がした安哲(アン・チョル=仮名=26歳)である。

 飢餓で肉親を失った安哲は一年半前、やはり飢餓で祖国を追われて国境を越え、中国吉林省の延辺朝鮮族自治州に隠れ住んでいた。「難民」といっても、難民認定を受けることができないので、あくまで「不法滞在者」である。

 在日朝鮮人の私は、難民青年の安哲と、北朝鮮の現状と未来について、夜を徹して語り合った。以来、訪中の度ごとに密会と討論を重ね、やがて共通認識に達した。金正日政権を倒して祖国を民主化する以外に北朝鮮国民が生きる道はない、という結論である。

腹をすかした孤児たちを見向きもしない北韓兵士

 「外部からではなく、北朝鮮の若者が主人公となって民主化を達成すべきだ」、私は北朝鮮留学で覚えた拙い朝鮮語で彼に説いた。彼は「自分に何ができるか」を考えた末、密かに祖国に戻り、ビデオ撮影を敢行する決意を打ち明けた。

 私も「何ができるか」を考えて、必要な機材と経費の提供を申し出た。安哲は「絶対の自信」を語ったが、留学経験のある私には「成功の確率は半分以下」に思えた。

 安哲に撮影訓練を施し、周到に計画を練ったつもりだが、もし逮捕されれば拷問の末に処刑されることになる。そんな安哲を見て私は、今年七月の北朝鮮国会議員選挙に私自身が「金正日の対抗馬」で立候補を試みる決心をした。勇敢な若者の幸運を祈るだけでは心苦しかったからである。

 私の立候補は「不受理」となったが、選挙と新議会の会期終了で国境警備の緩むスキを見計らって安哲は祖国へ戻った。九月下旬から一カ月半のセン入後、安哲は無事、中国に帰還した。第三者を経由して私がフィルムを入手したのは十二月八日のことだった。


闇市で大人が食べこぼしたクルミのかすを
拾ってたべる少女

■秘密映像の意義

 現地協力者の安全に考慮して地名は伏せるが、安哲が撮影に成功したのは北朝鮮中部の二箇所の都市である。六十分テープ二本(実録、約九十分)に収められた十月上旬の映像は、まさに「世界初の衝撃スクープ」と形容するのに相応しい内容である。

 まず第一に、その意義は、当局の監視や干渉をいっさい受けず、北朝鮮の「深部」を自由に捉えた映像だという点にある。

 同じ飢餓映像でも、これまでは北朝鮮当局がしつらえた託児所や病院で撮られていた。栄養失調の子供が立派な施設に横たわり、血色の良い保母や看護婦が親身に世話をする、といった類の違和感を覚える構図ばかりである。敢えて言うなら、北朝鮮当局が援助欲しさに、「天災による飢餓」を演出したヤラセ映像だ。

 安哲のフィルムは、外国政府や国際機関の人道援助が、援助を必要とする人に渡っていない現実を如実に写し出している。同時に、飢餓が金正日の失政、つまり「人災」によるものだということを雄弁に物語る。

 第二の意義は、全国に拡大する「闇市場」と、そこにたむろする浮浪児(孤児)の悲惨な実態を克明に記録したことである。特筆すべきは、危険を承知でインタビューを試み、成功している点である。

飲めない泥水を飲もうとビニール袋にすくう女児

 これまでも旅行者や援助関係者によって闇市の様子が撮られたことはあった。だが、それらは羅津・先鋒自由貿易地帯といった「開放地域」で、映像も数十秒、よくて数分足らずの不鮮明なものでしかない。安哲のフィルムは質量ともに他の追随を許さず、しかも金正日体制が存続するかぎり「空前絶後」となるだろう映像である。

 第三には、これまで北朝鮮難民や救援機関などがその存在を指摘しながらも、直接的には確認できなかった「浮浪児(者)収容所」が映像に収められた点である。

 北朝鮮当局は「わが国に孤児はいないし、孤児院も存在しない」と宣伝してきた。だが実際には、金正日総書記の命令で昨年九月二十七日から全国各地に収容施設が作られた。正式名称は「救援所」だが、「927施設」と俗称されている。同施設の目的は本来、浮浪児(者)に食事を与えて思想教育を施すことだった。しかし、実態は改造した旅館に浮浪児(者)を死ぬまで閉じ込める「収容所」に他ならない。

 収容所を脱走した孤児が映像中で涙ながらに語る現実は「悲惨」の一語に尽きる。給食は朝夕二度のスプーン一〜二杯ほどのトウモロコシ粥だけ。逃げ出そうと三階の窓から飛び下りて死ぬ子供もいると証言している。「救援所」とは対極に位置する「孤児の絶滅収容所」である。その存在と実態が初めて映像で暴露された意義は大きい。


ホームレスとなった子どもたちを収容する
「浮浪者収容所」。
一度収容されたら2度と外には出られない。

■秘密映像が語る変化

 一見、北朝鮮の闇市場には品物があふれ、豊かで活気に満ちているようにみえる。しかし、急速に拡大する闇市は「改革・開放」政策の証でもなければ、金正日体制の基盤の強固さの表れでもない。むしろその逆を意味している。独裁体制の根幹をなす配給システムの崩壊こそ、闇市盛況の原因なのである。

 労働党はこれまで、国民の自由と人権を根こそぎ奪うかわりに、生活必需品の配給を保障することで体制を維持してきた。ところが現在、恐怖政治は堅持しながら、配給は完全にマヒしている。経済破綻で工場はほとんど稼働せず、乏しい給料まで支給されなくなった。

 国民はもはや労働党をあてにせず、コネと特権を利用して薄利の「小商い」を営むか、組織(党)生活を離脱して路上散髪屋や荷物運びなどの「自由業」をはじめている。それもできない下層の国民は、生きるために「売り食い」をする。その品物が闇市場の商品の列に加わる。やがて売り食いのタネが尽き、住む家を売り払ってしまえばホームレスとなる。両親に捨てられたり、両親が飢死した子供は孤児となり、闇市で貰い食い、拾い食い、盗み食いをして生き長らえるしかない。

 配給制度がまだ機能していた頃、当局公認の「農民市場」は、配給で不足する物資を調達する場所だった。私が留学中の九一年は小規模で、市が立つのは週に二度ほど、禁制品の穀物や工業製品のヤミ取り引きも微々たるものだった。ところが、旧ソ連崩壊で北朝鮮経済が潰滅的打撃を被り、食糧危機が極度に深刻化する九五年頃から、農民市場が闇市場に変質し肥大しはじめる。

 秘密映像が示すように、市場は毎日開かれ、酒以外の売買は何でも黙認されるようになった。さもないと金正日体制が必要とする人間までボロをまとい飢えてしまうからである。

 北朝鮮式の「自由なき闇市場経済」は、けっして国民に豊かさをもたらしてはいない。映像は、進行する貧困が「最低限の人間としての心」まで破壊していることを写し出している。

 空腹のせいだろうか、泥水を飲もうとする女児。極度の栄養不良で痩せこけ、立っているのがやっとの少年。裸足で拾い食いをする赤茶けた髪の少女……。そんな孤児たちに周囲の大人たちは眼もくれようとしない。そればかりか、拾い食いをする浮浪児を怒鳴りつけて追い払う。

 安哲の説明では、二年ほど前までは食べ物を恵んだり、食べ残しの冷麺の汁を与える大人もいたという。いまではそんな光景もすっかり消え失せた。孤児や浮浪児にかまうと、自分自身が飢えることになりかねないからである。


■暗闇の中の光明

 安哲が映像にとらえた子供たちをを見ると、誰しも陰うつな気分になる。民族と国家の将来を担うはずの子供たちを、どんな運命が待ち受けているのだろう。零下二十度にも冷え込む北朝鮮の冬を生き延びるのは不可能に近い。

 かろうじて気力・体力の残っている子供たちは、運を天に任せ、国境の河を越え中国に逃げ込む。だが、そこでも中国当局による「難民狩り」と強制送還が待ち受けている。

 もし一条の光明があるとすれば、それは安哲のような北朝鮮の若者の出現であろう。これこそが北朝鮮で起きている「最大の変化」なのである。国際社会が支援すべきは、ビデオの子供たちはもちろん、映像を撮った数知れぬ「安哲」ではないだろうか。

写真提供・RENK

文=RENK事務局長・李英和(関西大助教授)

(文中敬称略)

(1999.02.10 民団新聞)



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