民団新聞 MINDAN
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在日同胞は民族運動の原点に



 一九一九年三月一日を期して、日本の植民地支配からの解放を求めた抗日独立運動の火蓋が切って落とされた。それが「三・一独立運動」の起こりである。

 今から八十年前のその日、ソウルではパゴダ公園に集まった学生らが、「独立宣言書」を朗読した後、太極旗を打ち振りながら街頭に出た。数万規模に膨れあがった示威行動では、人々が口々に「独立万歳」を叫んだという。

 その後、運動は韓半島全土に広がったが、日本当局の徹底した銃剣の弾圧によって、収束を余儀なくされた。しかし、自由を求める大衆運動は、同年四月十日、独立運動家らによる上海の大韓民国臨時政府へと引き継がれていく。さらに、インドのガンジーを首班とする非暴力運動や中国の五・四運動へと波及していった。

 「三・一独立運動」の歴史を刻んだパゴダ公園のレリーフは、今を生きる私たち在日同胞にもわが民族が歩んだ歴史とその教訓に向き合うよう強く求めている。


■「2・8」から「3・1」へのうねり

 一つは、韓国の憲法前文に謳われている「三・一精神」の原点は、日本に留学していた学生らの「二・八独立宣言」にあったということである。「在日」発の献身的、組織的、進取的な決起が、祖国の救国運動に昇華した事実を忘れてはならない。

 二つには、二百万人を超える同胞らが自らの命を賭しても希求した独立は、今日どのような現実にさらされているのかという認識である。祖国は日本からは独立したが、その三十六年間にも及ぶ支配よりも長い期間にわたって分断状況下にある。

 悠久な歴史を誇る民族の同質性よりも異質性をこのまま拡大していけば、その結果もたらされる相互不信は、民族の統一をより困難なものにしないだろうか。


■「3・1精神」を継承するために

 金大中大統領の「国民の政府」は、「第二の建国運動」によって経済危機に陥った国難を克服し、官民ともども再跳躍に挑戦している。在日同胞も民団を中心に外貨支援の先導的な役割を果たしてきた。また、統一の相手である北韓に対しては、「太陽政策」で対話のテーブルに着かせようとたゆまぬ努力を傾けている。

 ところが、国民を飢餓地獄に陥れながらも、ミサイル実験や核の脅威を世界に振りまく北韓は、依然として軍事路線一辺倒の愚行を続けている。祖国の北半分を台湾の核の処理場として提供しようとしたことも記憶に新しい。その北韓を支えているのが朝鮮総連だ。

 今年の「三・一記念式」に際して、民団では崇高な精神を継承し、在日同胞社会の交流と和合を達成しようというスローガンを掲げた。日本居住にいたる歴史的な経緯と二・三世に世代交代した現在の「在日」の永住性は、民団も総連も大差がない。

 本国との絆は、決して細めたりしてはならないが、本国との関係性よりも大切なのは、「在日」をどう生きるかに腐心することであり、具体的な行動に移すことだ。同じく日本に生きる在日同胞として、次代を生きる子どもたちに胸を張ることのできる環境を造ることに尽きる。この日本の地で義務だけを忠実に果たしながら、発言権が制限されている今の状態を改善するには、地方参政権の獲得をめざすしかない。

 在日同胞の共有財産とも言うべき民族学校をはじめ、双方の金融機関の存続が厳しい昨今、総連を含めた在日同胞全体に、在日同胞の民族運動の原点に立ち返ることを強く訴える。

(1999.02.17 民団新聞)



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