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映画「在日」・日本人学生の反響

「在日の苦しみリアルに」



■歴史知らなさすぎた日本人

 昨年六月二十七、二十八日の二日間、映画「在日」が松山市で公開された。九四年に韓国の建国大学と姉妹校になった松山大学の「ハングル講座」受講生も鑑賞し、講師の陳信之さん(民団愛媛県本部事務局長)にレポートを提出した。二十歳前後の日本の若い世代は、どう感じたのか、一部を紹介する。


■無知と偏見

 ▼戦後の日韓の歴史的背景などについては全くの無知だった。六十万人もの人々が、帰郷することができず、しかもひどい民族差別を受けてきたのを知って、同じ日本人としてとても申し訳ないことをしたと思った。この映画を観なかったら在日について考えることはなかったかもしれない。日本の罪を知っていなければ、私も偏見を持ったかもしれない。

 ▼日本人にとって八月十五日といえば、敗戦の日であり、喪に服する日だ。しかし、在日にとっては解放の日でおめでたい日であり、その日を祝うというのは知らなかった。

 ▼歴史の大きなうねりに左右されたにもかかわらず、何と誇り高い民族かとも思った。私たちは自分の国の歴史について知らなさ過ぎる。それを危険と感じていないこと自体恐いことだと思う。

 ▼原爆や阪神大震災での被害を知り、いたたまれない感じを受けた。在日の差別や苦しみを初めてリアルに知り、日本人はどのように解決していくか、改めて考えなくてはならない。

 ▼広島の慰霊碑の話があったが、私たちの知らない所でいろんな差別が行われていることを知った。日本人のためにも無責任な差別はやめていかなければ。


■参政権剥奪

 ▼日本に住み、日本で生活している人たちは私たちと同じだと思う。なのにどうして選挙権がないのか。日本の政治は日本人にしか影響を与えないというなら話は別だが、政治は日本に住む人皆に影響を与えるはず。就職に関しても同じで、日本は日本人の母国だが、日本人のための国、日本人だけの国ではないと思う。

 ▼日本人女性に参政権が得られる直前に、在日から参政権を取りあげていたということに一番驚いた。しかも、なぜそれが教科書に書かれていないのか。自分たちに不利なことは、隠しているのだろうか。

 ▼すでに五十年が過ぎ、日本人と変わっている所など何もないのに、選挙権が失われているのはおかしなことだ。早急に直すべきだ。

 ▼参政権を多くの在日が求めている。日本で生活している限り、日本人であれ、外国人であれ、参政権は平等に得る権利があるはずだ。得られないというのは、一つの差別ではないのか。本当に五十年前のことを反省しているのだろうか。


■戦争の傷跡

 ▼三十六年間の植民地生活は耐え難いものだ。日本を恨むのは当たり前だから、日本が戦争に負けた時、在日は喜ぶと思っていた。しかし、「解放されたことはうれしい。が、日本が敗れたことがくやしかった」と聞き、どうしてくやしいのかわからなかった。

 ▼日本が引き起こしてしまった戦争が、在日にも深い傷を与えたことは本当に残念。日本人は逃げずに、この問題を正面から考えていかなければならない。マッカーサー憲法草案には、「外国人の法の下の平等な保護」が明記されていたのに、日本政府はこれをはずし、在日に大きな苦しみを現在にいたるまで与えてしまったのではないか。

 ▼日本人が在日をどこかで見下し、変な優越感さえも抱いている。間違った考え方から朝鮮を悲惨な戦争に巻き込んでしまった。在日に対する態度、考え方を塾考する必要がある。

 ▼韓国は「戦後」が始まっていない。日本は「戦後」が終わっていない。


■時代の変化

 ▼在日はこれまで力で押さえつけられているような存在だったが、三十年、四十年と時がたつにつれて、主張が通るようになったり、少しずつ認められていく様子もわかった。

 ▼在日の強さをとても感じた。この日本で前向きに生きており、自立しようと一生懸命だ。自分の存在理由というとてつもなく大きな問題に取り組んでいる。その生き方に感動した。

 ▼日本は島国根性と呼ばれる民族的意識が強い国だ。自分たちと少しでも違うものは、やっかいもの扱いするような傾向があると思う。この問題を人事のように考えがちだが、それは間違いだ。だんだん改善されてきているみたいだが、まだ傷跡は残っている。少しでも癒されるように、せめて南北朝鮮の統一が実現することを願っている。

 ▼政府に抗議しても参政権もなく、思いも聞いてもらえない。日本人は在日のことをよく知らない。ハングルの授業をとってよかった。隣の国の文化や言葉を知っているだけでも、仲良くなれた気がする。

 ▼日本からも国籍の属する本国からも疎外されているように思える。権利と義務の整合性を論じるよりも、国民として正当な法的処遇と正しい認識をしなおすべきだと思う。

 ▼中学校では朝鮮学校との交流があった。私たちと変わるわけでもない同じ人間なのに、差別の芽は消えないようだ。過去の過ちを素直に認め、互いに助け合う外交を繰り広げていかなければと思う。


■韓日友好へ

 ▼大学などの教育機関が、学生をどんどん韓国へ送り出す手助けをすべきだ。二〇〇二年のワールドカップのように、世界的規模の大会を共開するなど、テーマをしぼって日韓で競い合う大会を開催する。

 ▼高校の時、「ハングル同好会」があった。時々韓国の学生と文通していたようだ。韓国の学校には、日本のことを研究するクラブがあるらしい。しかし、日本人はあまりハングルを習わない。隣の国なのに。文法が日本語に似ているので、すぐに慣れると聞いた。中学校ぐらいで教えてみたらどうだろうか。そうすれば日韓の友好にも役立つだろう。

(1999.02.24 民団新聞)



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