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韓日交流の親善大使を果たす

− ミス東京の増田美乃里さん −



ミス東京の増田美乃里さん

■相互理解の橋渡し役に

「韓国の良さを伝える仕事をしたい」

 増田美乃里さん(21)は学習院大学の三年生。ミス東京に選ばれると都知事の親書を携え、着物を着て姉妹都市のソウルに行くことができると聞き、あこがれて応募した。その仕事は日本広しといえどもミス東京だけに与えられる大役だ。千六百人の激戦を乗り切って、第四十二代の栄冠を得た背景には、韓国での幼児体験が大きくプラスに作用している。韓日相互理解のために、ジャーナリストが夢だと語る美乃里さんは東京都の親善大使として、日韓学生交流では民間交流の担い手として多忙な日々を送っている。

 書類選考と面接を経て、コンテストの舞台は江戸東京博物館。最終審査に残った十人が、一芸を披露する。国際関係に興味のある人が優遇されると聞き、韓国語でスピーチした。というのも、フジテレビに勤務する父親、明男さんがソウル特派員を務めていた関係で、小学二年から六年までの四年間、ソウルで暮らしたことがあるからだ。日本人学校だったが、週一回は韓国語の授業を受け、ソウル五輪前後の激動の韓国社会を目の当たりにした。

 日本の政治家が問題発言をすると、韓国社会の空気が変わっていくのを幼いながらも感じた体験から「相互理解の橋渡しが私の仕事」とアピール、第四十二代ミス東京の座を射止めた。九八年九月二十九日のことだ。

 ミス東京の仕事は幅広い。警視総監を訪問したり、郵政大臣と年賀状の出発式に立ち会ったり、宝くじの抽選会にも顔を出す。東京港に外国客船や軍艦が入ってくる時には、晴海埠頭へ。都立公園のオープンや橋の開通式など、都知事のテープカットにはお供をする。

 一番楽しかったのは、新宿祭りのパレードで新宿駅の東口から西口までオープンカーに乗ったことだ。力士が優勝するか、皇室に嫁ぐ以外には乗れないと思っていたからワクワクした。

 覚醒剤撲滅キャンペーンの街頭署名活動では、誰にでも笑顔を振りまく愛嬌の良さと積極的に署名を集める行動力が、ミス東京にはなかったタイプだと好感を持たれた。決してお高くすましていない。本人は「庶民派」だと言うが、ミス東京とは直接関係のないロータリークラブなどからも仕事が舞い込むほど。一日警察署長として交通安全キャンペーンも控えている。

 美乃里さんはまた、母親のみつ枝さんが理事を務めていた日韓女性親善協会の下部組織、日韓学生交流に大学一年の時から参加してきた。毎年二月に韓国、八月に日本で一週間、合宿しながらディスカッションや観光、ホームステイを体験するもので、今年で二十五年目となる。

 これまで二回ソウルを訪れ、韓国の学生には今の東京の姿と昔の江戸の風情を案内した。韓国に縁がなかったり、偏見を持っていた日本の学生も自分の目で韓国を見て、韓国の学生と交流して変わっていく。壁が確実に低くなっていくのを感じる。

 夢はジャーナリストだ。母親もエフエム多摩放送でパーソナリティを務める家庭環境が大きいが、二〇〇二年の日韓共催のサッカーワールドカップまでに韓国語をもっと勉強し、普通のニュースでは取り上げられないような韓国の良さを伝える仕事に就きたいと言う。一人でも多く韓国に興味を持つ日本人が増えればというのが願いだ。

 ある放送局に出した作文「私の二〇%」では、二〇%を占めていた韓国の四年間が、今では気持ちの一二〇%を占め、自分を突き動かしていると書いた。NHKの就職セミナーでは、「最近興味のあること」というテーマに十五人の学生のうち五人が、日本文化の開放やワールドカップを挙げていた。日韓関係は今やマスコミ志望の学生のキーワードになっている。

 「日本文化の開放によって、日本でも韓国文化への興味が始まると思う。互いの文化を知らないと国同士も人間関係も仲良くならない」。夢の実現のために、今年の秋には訪韓し、韓国語の勉強を始める予定だ。

(1999.03.17 民団新聞)



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