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民族学級・苦闘の10年<下>

大阪・御幸森小学校



■同法保護者が原動力に

 「外国人在籍率日本一」を誇る大阪市立御幸森小学校は生野区にあって、校区にはあの「コリアタウン」を抱える。民族学級を開設した当初、全生徒四百二十一人中実に三百二人が在日同胞で占められていた。在籍率にして七二%。少子化傾向が続き、相対的な比率は下がっているもののいまでも約六割が在日同胞だ。

 現在は一年生から六年生まで全学年から入級している。毎週一回、放課後の五校時ないしは六校時に自分たちの国の言葉・文化・歴史などを学ぶ。修了生はすでに二百五十人を超え、三百人に迫ろうとしている。

 御幸森小に民族学級が開設されるまでには、歴代校長を相手取っての同胞保護者たちによる十年間に及ぶ働き掛けがあった。当時、府教委は新たな民族学級開設には必ずしも積極的とはいえなかった。「民族講師には府教委の教員採用試験に合格した人が必要」という校長もいた。「公教育の場での民族教育の保障は当然の権利」と訴える同胞保護者の要求とは大きな隔たりがあった。

 度重なる交渉の末、新任の川口辛未校長が民族学級の意義を認め、八九年六月二十日、念願の民族学級開設が実現した。

 しかし、同胞保護者たちには、ボランテイアの民族講師三人を物心両面で支えていくという大きな重荷を背負ってのスタート。教材、教具も私費で取り揃えなければならなかった。

 講師への謝礼は一人につきわずか一カ月一万円にしか過ぎなかった。それでも年間三十万円ともなれば一人当たり年間二千四百円の保護者会費のほとんどを充てざるを得なかった。対象とする百世帯を戸別訪問しても「なんで払わなあかんの」と心ない反応もあり、当時の「外国人保護者会」役員は「限界かな」と思ったこともあったという。


■修了生は250人をこえる

 二年目が過ぎたころ、同胞保護者たちは、「公費負担の民族講師の配置を求める要望書」を作って同胞保護者宅を一軒ずつ回った。最終的には同胞家庭の九割が署名に応じた。また、御幸森小教職員も同様の署名を集めるなどして保護者会をバックアップした。

 こうしてして必死に思いを訴えた結果、九二年五月から公費負担の非常勤民族講師、金昌代さんが配置された。「外国人保護者会」の現会長でもある鄭炳采さん(民団大阪府本部・文教部副部長)は「保護者会が同胞家庭を一軒ずつ回って署名を集めたエネルギーがあってこそ今日の民族学級がある」と振り返った。

 金さんは九七年度からは常勤となり、同時に残る一年、二年生を対象にした民族学級も開設された。昨年五月には全学年の入級児童が集まり、新一年生の入級を祝った。民族学級開講十年目にして初めてのことだった。

(1999.03.17 民団新聞)



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