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70歳のハラポジ、晴れて短大入学

渡日48年目でかなえた勉学の夢



入学許可宣言を聞く李漢祚さん
(4月10日、広島文化
短期大学の入学式)

■広島市内の李漢祚さん

 【広島】七十歳の在日同胞一世が渡日以来燃やし続けてきた勉学への夢をかなえ十日、夫婦ともども広島文化短期大学(広島市安佐南区、坂田正二理事長・学長)に進学した。六十三歳のとき"九九"も分からないまま夜間中学に入学、必死の努力を重ねることで夜間高校在学中には簿記の検定資格三級を取得するところまでいった。こうした勉学への意欲が大学側を動かし入学を認められた。


■「九九」から学び直す

 広島文化短期大学で行われた「入学宣誓式」。三百五十人の新入生の名簿がつぎつぎに読み上げられる。名前を呼ばれた李漢祚さん(70)の返事がホールに響いた。続いて李さんの妻、郭玉子さん(44)の名前も聞こえた。最後に坂田理事長・学長が「生活科学科九十四人の入学を許可します」とおごそかに宣言した。

 李さん夫妻が学ぶのは生活科学科のなかの栄養専攻学科。同大学独自の「アドミッションズ・オフイスによる入学試験」を受け合格した。これは受験者の進路意欲や能力、適正が大学の教育内容と接続可能かどうかを総合的に判断して入学の適否を決める制度。


■夫婦そろって入学

 李さんは大学に入るため定時制高校在学中から担任の勧めで簿記検定に挑戦、五級からチャレンジして四級、三級とステップを踏んできた。ただし、二級だけは厚い壁を前に何回も涙をのんだ。漢字検定についても四級にパス、三級も通った。こうした意欲と併せ、八年前、韓国から嫁いできた郭さんに栄養士の資格を取らせてあげたいという李さんの妻を思いやる気持ちも大学側を動かした。李さんの本来の志望は四年生大学夜間部だったが、郭さんのためにあえて栄養専攻を選んだ。


■日帝植民地が勉学を断念

 李さんは植民地統治下の慶尚南道・統営で小学校を卒業した。中学校は家が貧しく断念せざるをえなかった。あきらめられないでいた李さんは「日本に行けば昼は工場で働き、夜は夜間中学で学べる」との話に飛びつき、一九四四年六月に渡日した。小倉の不二越鋼材という製鉄所で働き始めて三カ月目にだまされたことに気づき脱走を図った。

 解放を迎えても無一文では帰国できず、各地の飯場を転々しながら広島に落ち着いた。設備工事で生活に余裕ができた九一年、呉市内の現場で顔を二十針縫う大けがをした。三カ月間、仕事もできず悶々と過ごすうち、渡日以来四十八年間忘れかけていた向学心に気づいた。近くの観音中学夜間部に相談したところ幸い入学を許可された。

 韓国から嫁いできたばかりの郭さんとともに机を並べて勉強するうち、定時制高校、さらには大学にもと夢は膨らむばかり。とうとう大学へと進んだ。

 李さんの夢がこれで終わったわけではない。短大を卒業したら、今度は韓国国内の大学で学ぶという。そのときこそ「故郷に錦を飾る」という渡日以来の最終的な目標をかなえるときなのだ。

(1999.04.14 民団新聞)



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