民団新聞 MINDAN
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入学写真



 仕事がら家に帰る時間はまちまちで決まっていない。家に帰り着いたころには、隣の部屋から一人息子の高いびきが聞こえてくるという時のほうが多い。

 長男は持って生まれたときからの知的障害者。小学校では本名の名前の問題でからかわれ、障害ゆえに友達からいわれのないいじめにもあってきたようだ。

 登校拒否になったのは入学して間もなく、五月の連休が終わってすぐのことだった。泣き叫ぶ我が子の手を引き、学校まで引きずるようにして連れていった。こうしたことが約一週間も続いた。夫婦とも朝の登校時間はパニック状態になった。

 普通学級ではなく障害児だけの特殊学級を選択していれば、登校拒否という事態にはならなかったかもしれない。事実、入学に際しては都教委から養護学校への入学も選択肢として勧められた。いや、半強制に近かったのだが。

 健常者と障害者が共生できる社会をとの願いは、なかなか理解してもらえなかった。通知表には各科目とも「がんばりましょう」がずらりと並んでいた。もとより成績は二の次なので気にはならない。

 なによりも健常児に支えられながらすくすく成長してくれたこと、そして学校生活を楽しんでくれたことの喜びのほうが大きかった。

 今春からは中学生。ある日、帰宅してみるとテーブルに入学式のときの記念写真がそっと置かれていた。真新しい制服にネクタイ姿。その姿は緊張して縮こまっているかのように見えた。いままさにカルチャーショックのさなかに置かれているに違いない。

 「頑張れよ」。写真に向かってそっと激励のエールを送っていた。(P)

(1999.04.21 民団新聞)



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