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ウトロは今<中>

「不法占拠」か「時効」か
原告と被告の主張



今も面影を残すウトロの飯場

■「不法占拠」か「時効」か

 西日本殖産による提訴の後、ウトロ地区に家屋解体業者がやって来た。同胞住民は団結してこれに抗議、退散させたが、不安はつのる一方だった。

 八九年三月に裁判が始まった。同胞住民の訴えのポイントは、在日同胞を戦後放置してきた日本政府の戦後補償の観点、次に住民不在のまま土地を売却した日産車体の企業としての社会的な責任である。

 しかし、裁判所での論点はもっぱら土地所有をめぐる権利関係に終始した。原告の「不法占拠」との主張に対して、被告は「取得時効」と反論した。根拠は民法一六二条第一項の「二十年間所有の意思をもち、平穏かつ公然に他人の物を占有した者は、所有権を取得する」という条文である。

 次に被告は、土地所有者だった日産車体が水道管の埋設に同意したということは、住民がウトロ地区に住んでいる事実を認めたものであり、仮に住民に所有権はなくても地上権はあるという点。さらに、日産車体が西日本殖産に土地を転売したのは、住民に買い取らせるためであり、住民は買い取る権利はあっても、「不法占拠」を理由に出ていくいわれはない、という「第三者のためにする契約」などを訴えた。


■和解案も金額に開き

 ところが、被告の主張はことごとく退けられた。最大の争点になった時効についても、住民側の代表七人が七〇年二月に、ほとんどの住民の署名、捺印とともに日産車体に提出した売却要望書の存在が明らかにされ、その事実は住民自ら「土地は自分のものではないと認識していた」ことの裏付けにされた。

 七〇年当時、生活苦からの解放と土地問題の解決を求めた住民の申し出にまともに向き合ってこなかった会社が、約三十年後に住民を窮地に陥れる反証書類として決定打を放ったことになる。

 声を無視され続けたウトロ同胞にとって、歴史の皮肉と言うには重すぎる一審の宣告であった。

 大阪高裁に舞台を移した控訴審で四人で構成する弁護団は、国際人権規約の社会権規約の中にある「強制的立ち退きは認められない」という居住権規定に依拠して闘った。

 しかし、この主張も高裁では一蹴されてきた。「国際人権規約は道徳的義務を定めたものであり、法律的な権利とまでは言えない」というのだ。国連人権委員会が九三年三月に「強制立ち退きは人権、特に適切な居住の権利に対する重大な違反」「強制立ち退きをなくすために、直ちに対策をとることを各国政府に要請」と決議し、採択した五十三カ国の中には日本も含まれていたが、裁判所には国連決議も届いていないようだ。

 「今の法律の枠組みの中では、法律論で住民の権利を守るというのは厳しい。訴訟を継続しながらも、他方では和解の話も考えなくてはならないのでは」と中田政義弁護士は指摘する。一審の敗訴以降、住民の中に挫折感が見え始めたのも否定できないからだ。

 その和解案だが、これまで京都地裁から三回提示された。しかし、最終的に原告の示した十四億円と住民側の七億円の間には二倍の開きがあり、住民の生活レベルの格差などで解決にはいたらなかった。

 中田弁護士は「和解の実現に向けて公的機関などが買い取り資金を援助する取り組みを」と投げかける。

(1999.04.21 民団新聞)



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