民団新聞 MINDAN
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ウトロは今 <下>

「この地に住みたい」



■2世に引き継がれる闘争

 ウトロ裁判が始まる前年の八八年のある日、民団京都府本部の団長室にはウトロ町内会の金教一会長と厳明夫副会長がいた。また別の日には土地の転売に関わったHが呼ばれた。

 故鄭可也団長(当時)は、「商慣習上の手数料」として転売の過程で一億円を手にしたHと「同胞住民を裏切った」と憤る金会長らに、「民団として住民間のトラブルや民事裁判に関与できないが、関心は持つ」という立場を取った、と事情を知る関係者は証言する。

 さらに、その当時は朝鮮総連南山城支部が戦前からの同胞の居住権を主張して運動を進めており、土地を買い取るという発想もなく、住民も総連同胞が多かったと言う。あれから十年余の歳月が流れた。現在はほとんどが民団の同胞だ。


■判断は最高裁の場に

 裁判が始まると「地上げ反対!ウトロを守る会」が市民らによって結成され、裁判と平行して住民と「守る会」は国際世論に訴え出た。画期的だったのは、九三年三月一日付のニューヨークタイムズに出した意見広告で、「なぜ日産は私たちの家庭をこわしたいのか?」との緊急アピールは大きな反響を呼んだ。全米で最多発行のロサンゼルス・タイムズが社説で取り上げたり、韓国のMBCをはじめ日刊紙が取材に訪れた。韓国キリスト教会の人権委員会もウトロに足を運んだ。九六年五月には新井英一が「清河への道」を同胞住民の前で熱唱した。

 同胞住民は毎月二十六日、地区の中心にある朝鮮総連南山城支部で会合を持つ。この建物は幸いなことに立ち退きの対象にはなっていない。オモニたちを中心にチャンゴの練習で顔を合わせる、一息つける場だ。そこには北も南もない。


■最悪のシナリオなら…

 四月十三日の高裁判決で棄却された住民の一人、金小道さん(民団南京都支部議長)は、「ウトロで起こっていることを一人でも多くの人が知り、力を貸してほしい」と訴える。飯場の生活からウトロの地に根を下ろした一世もこの十年で何人も他界した。戦前からの居住であれ、戦後に移り住んだ事情であれ、在日同胞の生存の闘いは、二世世代に引き継がれている。

 高裁での最終グループの裁判も年内には終わる。今後すべての裁判が最高裁で争われ、最悪のシナリオとして住民敗訴になった場合、原告側が強制執行、立ち退きを迫るのかどうか。

 民団京都府本部の李愚京団長は、「裁判の行方を注視し、ウトロの地で生きたいと願う同胞の声を無視するわけにはいかない」と語る。同胞住民の声に、全国の同胞はどう応えていくのだろうか。


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 地元の京都新聞の報道によると、原告の西日本殖産が持つ約二万千平方メートルの土地のうち同胞住民の約五十世帯が住む約一万三千平方メートルを宇治市が差し押さえていることが、四月一日にわかった。五年間にわたり固定資産税約二千万円を滞納していたためで、市は地方税法に基づき今年二月三日に差し押さえたという。


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 この連載は『ウトロ―置き去りにされた街』(地上げ反対!ウトロを守る会編、かもがわ出版発行、電話075―432―2868)を参考にしました。ウトロの同胞住民への支援は「守る会」へ。電話0774(41)7854、FAX0774(44)8500。カンパは郵便振替01030―9―60413。

(1999.04.28 民団新聞)



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