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スクリーンのない映画館「泥の河」

マルセ太郎さん、文化芸術の夕べで熱演



表情豊かに演じるマルセ太郎さん

■韓国の逸話交え会場沸かす

 「スクリーンのない映画館」。ボードビリアンのマルセ太郎さんのレパートリーの一つだ。「泥の河」をはじめ自身が感動を受けた映画を一人芝居で再現するというマルセさんが開拓したジャンルともいえる。

 在日韓国人文化芸術協会(河正雄会長)が5月末から5回にわたって開催する「文化芸術の夕べ」の第4回目(6月26日、在日韓国YMCAスペースワイ)を飾る公演で「泥の河」を演じた。もう一つ、「泥の河」の前に寄席や劇場で演じる一人芝居を見せた。マルセさんがサルよりサルらしいと絶賛された動物形態模写のレパートリーから始まり、昨年10月に大成功した韓国公演の裏話をさっそく取り入れたお笑い劇で会場を湧かせた。

 「サルよりサルらしい」といわれる神髄は、その観察眼の鋭さにあるようだ。動物園に何度も通って身につけた芸と思われがちだが、実は自分の子どもを動物園に連れていった回数さえ世間の父親より少ない。「まねる芸というのは時間をかけたからできるものではない。対象を見た瞬間にできるかどうかがわかるものである」と言い切るところがすごい。


■鋭い観察眼で心理えぐる

 大阪の猪飼野で育った自身の子供時代を振り返り、学校の便所(トイレとはいわない)にまつわる大人と子どもの認識の違いを見事にあぶり出す。言われてなるほどとうなずかざるを得ないが、逆に言われなければ忘却の彼方だ。鋭い観察眼で物事を深く追求する。

 小栗康平監督の映画「泥の河」はまさにマルセさんの生まれ故郷の話だ。「うどん屋」の小学生の男児と父を亡くし身体を売る寡婦と2人の姉と弟。対照的な家庭に生まれた子どもたちの友情と大人の世界との葛藤を描く。84年にマルセさんが演じ、絶賛を浴びた作品だ。

 映画からは推測するしかない心理描写を、マルセ流に解説を加えてゆく。

 子どもの心理を大人が勝手に書き換えるのが嫌いらしい。芝居の中にも、皆にテレビを見せてやるという金持ちの子どもが、娼婦の息子の訪問を拒否したとき、うどん屋の息子が自らも行かないと言い張るシーン。正義感に燃えて反論する少年を一旦は演じながらも、そんな表現は大人のエゴであると断罪する。突然のデンぐり返しで微妙な少年の心のひだを演じ直す。虚構を拒否するかのように。

 ところどころに笑いが入るが、会場は水を打ったように静かだ。息をのむ。1人マルセさんの声だけが響いた。

(1999.06.30 民団新聞)



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