毎週水曜日の朝、刷り上がった新聞が民団中央本部に届く。梱包を解き、真新しい新聞に目を通す。このときの気持ちは、渡されたばかりの成績表を広げるときに似ている。ハラハラ、ドキドキ何ともいえない気分にさせられるものだ。
1から6面まで順に点検していく。まずは見出し。分かりやすいか、正確か。自問自答していくうちに別の表現が思い浮かぶこともしばしば。
見出しはまだいい。誤字、脱字を見つけたときは最悪な気分にさせられる。1日中どころか一週間以上、頭から離れない。夜、夢の中にまで出てくるから始末が悪い。取材に費やした努力まで無に帰してしまい、徒労感だけが残る。
真っ先に思い浮かぶのが取材先への影響。問い合わせ先の電話番号を誤って記載したため「間違い電話で1日、商売にならない」と怒鳴り込まれたこともかつてあったという。新聞の影響力の大きさを思い知らされる瞬間だ。
小学生の頃、友人の家で一緒に勉強の真似事をしたときのこと。本を読んでいると、外でスクラップ処理をしていた友人の父親から「見ているだけで、読んではいない」と見透かされたことがあった。
工場では瞬時を争って様々な行程をこなす。降版間際に記事を差し替えることも珍しくない。刻々経過する時間にあらがうようにして作業を進めなければならない。毎日緊張の連続だ。作業が終わってほっとしたころミスに気づくというのも、緊張がほぐれるからなのだろう。
紙面製作は真っ白なキャンパスに絵を描くようなものだ。絵の出来、不出来はあっても、やはりシミ一つない紙面を読者に届けたい。さて、今日の紙面はどうなのだろうか。ハラハラ、ドキドキしてしまう。(P)
(1999.07.14 民団新聞)
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