| 遺骨を胸に韓国に着いた朱帝圭事務局長 |
■民団山形、遺族探しに東奔西走
【山形】無縁仏としてひっそりと葬られるのは余りにも無念、とこのほど一人の同胞が民団山形県本部の支援で韓国にある「望郷の丘」に埋葬された。
山形県内で9年前の1990年に死亡したのは当時九十二歳のAさん。Aさんは、県内で日本の女性と結婚して暮らしていたが、夫人は先になくなり、Aさんが亡くなる直前は一人暮らしでホームヘルパーの世話を受けていた。ヘルパーに「身体の具合が悪い」と入院の手配をしてもらった5日後に、うっ血性の心不全で死亡した。
■関西でようやく身寄り発見
夫人には先夫との間に生まれた2人の子どもがいたが、全く血の繋がりがないとAさんの身元引き受けは受けてもらえなかったという。日本人と違って戸籍によって身寄りをたどることができず、県の福祉協会でも頭を抱えていた状況だった。あちこち訪ねる内に行き当たったのが民団の山形県本部。
知らせを受けた金鍾文団長と朱帝圭事務局長は、領事館など多方面を当たり、関西に居住する身寄りを捜し出した。何度も親戚と連絡を取りながら、危うく無縁故者として処理されかかったAさんの遺骨を韓国に埋葬することができた。
外国人登録証によると、Aさんは済州道出身で、1923年に渡日した在日歴67年の同胞。その間の経過は分からないが、山形には数10年前から居住していたという。
しかし、民団、朝鮮総連など同胞との付き合いはなかったようだ。遺品の銀行通帳なども全て通称名が書かれており、日本社会の中で一人ひっそりと暮らしていたことがうかがわれる。
金団長、朱事務局長ともに「苦労した同胞がひっそりと葬られるのは胸が痛い。せめて祖国の地で安らかに眠らせてあげたい」という一心から、東奔西走したという。
朱局長は8月23日に韓国入りし、Aさんの遺骨を「望郷の丘」に埋葬した。
(1999.09.01 民団新聞)
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