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「在日」どう生きる−揺れる3世胸の内

悩み、惑い自我取り戻す
市民団体がパネルディスカッション



パネルディスカッションで
胸の内を語る呉珠響さん

 在日三世は日本社会でこれからどう生きていこうとしているのか。様々な立場から、五人が微妙に揺れる胸のうちを語った。「民族共生教育をめざす東京連絡会」(金敬得代表)と「民族共生教育をめざす東京保護者の会」(共同代表、金敬得・田中宏)が九月二十三日に行った第三回連続講座から発言の要旨を紹介する。


◆帰化志向したことも

 呉珠響さん(21)=専門学校1年生=小学校から地元の同胞子供会でウリマルや舞踊を学ぶ。週一回の集まりが楽しかった。韓国人あることに優越感さえ抱いていた。それがなぜか高学年になってから、みんなと違うことが重荷に。生まれながらの本名がいとわしく思えるようになった。二十歳になったら帰化しようと心密かに誓ったことも。

 高校生になって自分をありのまま肯定的に受け止められるようになった。朝鮮奨学会で小学校時代からの友人と出会い、同じ悩みを抱えていることを知ったからだ。

 「在日の問題は私たちの問題。言うだけでなく、行動に移していかなければならない」と、心密かに誓っている。


◆本名宣言で心軽く

 鄭佳子さん(18)=大学1年生=高校入学時点で学校側から本名にするか通称名にするかを迫られ、深く考えずに通称名を選択した。社会問題に熱心な日本人の友人の影響で原発や沖縄の米軍基地問題に関わるなか、まず自分の国のことを知りたいと思うようになる。それからは通称名を使っていることが心の重荷になっていった。

 広島の原爆資料館を訪れたとき、本名で記名したことから友人に韓国人であることを告白。自分の本国のことを知りたいという好奇心から在日の仲間に呼びかけ、昨年「草の花」というサークルを作った。


◆屈折した優越感

 金和代さん(21)=大学4年=母親が一世で父親は在日二世。毎月のように家で行われる祭祀のため、小学校を早退することも珍しくはなかった。自分ながらに「どこか他の家とは違う」との漠然とした自覚だけは持っていた。

 しかし、高校生までは一貫して通名を通した。友達には国籍の違いを自慢するといった屈折した優越感を抱く反面、どこか卑屈になることも。

 十六歳になって外国人登録した際、本名でサインした。空気のような存在だった本名が、このとき初めて身近なものに。大学に入学してからも通名の金山で通すつもりでいたが、兄の勧めもあり軽い気持ちで本名に切り替えた。

 もし、小・中学生時代に民族共生教育を受けていたならこんな回り道をしなかっただろう。そんな小さな悔いから、将来は専攻の児童文学を通して民族共生教育の機会を広げたいと意欲を燃やす。


◆本名通学に恐怖感

 孫明秀さん(31)=学習塾教員=小学校は埼玉県の民族学校。社会の冷たい視線を浴びたが、学校では差別やいじめとは無縁で過ごせた。しかし、日本の公立中学に進学するとなれば、環境が激変することが予想された。

 学校で集団的ないじめにあって、林賢一君が自死に追い込まれた「上福岡三中事件」(七九年九月九日)はまだ記憶に生々しかった。

 結局、本名で通学することになったが、孫さんは不安を隠せなかった。学校側でも事件の二の舞を恐れた。職員会議では一時は孫さんの入学に消極的な意見も出たというが、最終的には孫さんを受け入れることで日本の生徒に良い影響を与えられる学級・学校づくりに努力しようとの方向でまとまった。

(1999.10.13 民団新聞)



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