民団新聞 MINDAN
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在日へのメッセージ

時事通信社会部・東実森夫



□■石畳のある街、大阪・桃谷■□

 表通りから数十段の階段を下りたところにある石畳の薄暗い路地裏。そこが幼いころのわたしの遊び場だった。

 母が近くの仕事場で紳士服の縫製に励んでいる間、わたしは近所の子供らと缶蹴りやビー玉遊びをして過ごした。転んでけがをすると、薬屋のおばさんがひざにばんそう膏を張ってくれ、お菓子をくれたりもした。

 コリアンタウンとして知られる大阪・鶴橋の南隣にある桃谷。わたしはそこで生まれ、4歳のころまで暮らした。その後、堺市に引っ越したが、桃谷に仕事場があった母に連れられ、週に数日は通った。そうした生活は小学校に入るまで続いた。

 30年以上も前のことで、普段は思い出すこともほとんどないが、数日前、映画「キューポラのある街」をテレビで見ていて、当時の光景が目の前によみがえってきた。

 この映画は1960年代初頭の埼玉県川口市が舞台で、吉永小百合ふんする中三の少女が、厳しい家庭環境にもめげず、力強く生きていこうとする姿を描いている。

 少女とその弟にはいずれも「在日」の友達がいて、当時の北朝鮮帰還事業により、「祖国」へと旅立っていくシーンも登場する。

 もちろん、わたしに同じような体験があったわけではない。しかし、街の様子や子供たちの表情など、わたしの記憶と重なり合う部分が多く、胸が締め付けられるように感じた。

 当時のわたしには知る由もなかったが、桃谷とその周辺でも同じような、いやもっと厳しい現実があったのだろう。

 一緒に遊んだ友達の中にも「在日」の子がいたかもしれないと。

 「地上の楽園」と信じて北朝鮮に帰った人々にはもっと過酷な現実が待ち受けていた。自らが選択した結果とは言え、日本社会の差別構造が、そうせざるを得ない状況に追い込んだのも事実だ。

 北朝鮮だけを非難して終わる問題ではない。改めてそう思った。

(1999.12.01 民団新聞)



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